Cheeeeers everyday


500頁にもわたる、南方熊楠の伝記をよんだ。

小さいこと頃から、虫を花を愛する私にとって熊楠はとっても素敵な人だったし、未だに家族旅行の候補に和歌山の熊楠の博物館があるのだけど、私は熊楠を全然知らないなって気づいた。
そこで500頁にも渡る”巨人伝“を読んだ。
あまりにも目を見張ることが多すぎて、500頁なんてあっという間だった。

学問、精神、あらゆる分野において超越してる。
勉学に対する好奇心、向上心は誰よりもすごい。
ただ、それ以外に関すると欲が全くない。


子どもの頃は、ひたすら本を読みあさり、写生していた。
中学の時既に、漢文を2000冊7000巻読み終えており、3300巻を筆写している。
記憶力にも優れており、彼は友達の家で本を読みあさっては、家に帰ると一語一句漏らさず記録していたらしい。

大学はほとんど既知であり、どの大学も中退している。

イギリス,アメリカで確か15年ほど暮らすが、金銭には全く恵まれない人であり、日本からの仕送りに頼り、ものすごく質素な暮らしをしている。


社交的でなく、むしろ初対面がものすごく苦手で不器用な熊楠だが、
なんだか人を引きつける要素があるんだと思う。
恋愛となるとものすごく弱気だし、対人が苦手だからものすごい酒豪だった。
遠くはるばるからやってきたお客さんに、頭のてっぺんから布団をかぶり対談をしたり。
和歌山のさらに山奥に住んでいる熊楠だが晩年は客がひっきりなしに訪れていたらしい。

国外では特に孤独だった熊楠は、信頼できる友は2,3人しかいない。
でも、その一人が孫文だからすごい。孫文と熊楠の仲は深く、孫文は来日した際に東京から熊楠に会いにわざわざ和歌山まで出かけている。

そして、天皇が御臨幸し、熊楠がご進講することになったとき、熊楠はキャラメルの空箱に粘菌を入れて献上する。天皇は神であった時代であり、熊楠は歓喜に満ちていたし、準備に熱がこもっているけれど、標本が桐の箱ではなく、キャラメルなところが素朴で素敵だ。






4歳より脾疳(ひかん)にかかっている。
熊楠は精神状態が悪化すると、自己が複数に分裂していたらしい。
自己分裂を抑えるために、必死に勉強に励んだ。

中学生の時に天狗にあっている。
家の人は三日間山へ入った熊楠が帰ってこないのですごく心配したらしい。当たり前か(笑)
その時天狗に
“好きなことを力の限りやれ、お前は人間界に降り立った智恵の神さんや”
と言われたという。

そして、いつも亡くなった家族や友人の霊と会い会話している。
粘菌とも会話をしていたらしい。
夜中にいつも研究をしていたのだが、書斎からはいつも誰かと会話する声が聞こえていたそうだ。

優待離脱もしていたみたい。
夜中に首がのびていろいろ見て回ったり、魂だけが屋根の上を飛び回ったり。


...こんなにたくさん書いているのに、大事なことはほとんど書けてない。
本ですら、これでもすごく凝縮しているんだなと思ったくらいだから、ここに書くことが無謀なんだろうけれど、私の要約(?)は
...うう、ひどい。


だけど最後にこれで終わろう。
“人の心というものは単一ではなく、複合体である。一人の心は一つではなく、いくつかの心が集まったものである。このいくつかの心は常に変化していゆく。変化しつつ、以前の心の概要を受け継いでいる”
—そして彼はそのさまを実際みたという。                           


このよく分からない文章を読んで、面白いと思った人は本を読むことをおすすめする(笑)
この数倍面白いです。


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*書物: 巨人伝: http://www.amazon.co.jp/dp/4163110909/
*南方熊楠 1867年~1941年 世界的博物学者。18ヶ国語を理解し、博物学、生物学、人類学、宗教学、性愛学、民俗学、エコロジーなどの様々な分野の学問を縦横無尽に往来し、異能を発揮した。
 日本の変形菌(粘菌)分類学の基礎を固めた生物学者でもあり、また柳田国男とともに日本の民俗学を創始した民俗学者でもあった。その膨大な知識から南方熊楠は「歩くエンサイクロペディア(百科事典)」と呼ばれ、柳田国男をして「日本人の可能性の極限」とまで言わしめた。