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カニバルスが気になりますのブログ

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  GS「アウトキャスト」の大野さんが自分史を紹介する映像をユーチュウブにアップされている。

  おもしろいのは「アウトキャスト」の活動後半から、多くの別の音楽活動をされている。

  そして、なんとベーシストでこの「ザ・カーニバルス」にも参加している。

  ボーカルはロニー(次のボーカルとの折り合いがよくなかったかもしれない)、他にジョー山中(1969年中頃まで別バンドと並行して活動したと思われる)、ジョニー吉長もいた(1969年中頃には脱退)。

  記憶では、ドラムは西さんもいたとのこと。今も原宿クロコダイル社長!!1969年初めではないか。

  青山サムライの箱バンの時は市山正英さんも木田たつおさんも一緒だったとのこと。

  長洲タツミさんが「ザカーニバルス」の加入前に見たときのベースだけ思い出されなかった。もしやこの大野さんさんだったのか?

  私が見た写真は、ジョーとロニー、宮崎さん、市山さん、西さん、木田さんでした。

  

 がっかりです。「ライブハウスもコロナの影響でどうしようか、休もうか」と言っていた矢先に心不全で、かなしい。

 彼は「ザカーニバルス」のバンドボーィをされていた。運転手をされていたそうです。

 ある事情で、やめたんだと思います。

 もしかしたら、ライブハウスオーナー兼昔は有名なドラマーNさんからみだったかも。

  このBANDの前期米軍キャンプあたりで市山さんさんが仕事をもらってされていたと思う。バンマスだったのでは。

  そこで、ロカビリー歌手兼マネージャーのTサンとで会う。TさんはこのBAND以外にもいくつかバンドをマネージメントされたみたいだ。バンドも個人契約に近いので、メンバーとはいえ別の仕事を優先されたりしたため、メンバーも入り乱れ把握できない状況にある。関係者の人間関係あるので事実は分からない。

  「ザ・カンニバルス」のマネージメントはTさんと飲み屋のマスターも協力者だったらしい。バンドボーィでは蜂谷さん、相原誠さん、タツミさんらが修行している。

  当時のバンド事情には寺内タケシさん、Mさん、Kさん、Oさん(故人)、女傑のロンスターのオナー(故人か?)などが詳しいと思われる。

  市山さんが抜けた後にはメンバーで後に後に音楽事務所で有名にナル方もバンマスになり、「ザカンニバルス」を動かした時期がある。そして、Tさんを離れ「四人囃子」の事務所へ移籍したらしい(※1)。面倒見のいいおばさんが有名らしい。荒木一郎もからんでいるのかもしれない。 「M」も同じ時期に活動したバンドだ。面倒見のいいおばさんとともに荒木一郎が「M」のレコード製作にかかわっている。

  そうだキングレコードブラックレーベルの「ザカンニバルス」の2枚のシングルのどちらは立川直樹さんがかかわっていた。

 この2BANDの後期は、「M」+「ザカーニバルス」で最強のバンドを作る話も合ったと聞く。

 

 運命のいたずらなのか、実現にいたらず、1975年頃には、「M」、「ザカーニバルス」の主なメンバーは「ハリマオ」と「イエロー」として活動されている。

 

 実力派バンド「ハリマオ」と「イエロー」ともにレコードデビューしている。

 

 ※1 関係者に聞いたところ、四人囃子は純粋なロックバンド、「M」のいた音楽事務所は、箱バンを斡旋した事務所なので、所属した可能性はなさそう。おそらく勘違いだと思われる。

 物語として受け止めてもらえれば幸いだ。

 「M」についてもいつか語りたい。

 

  

   関係者との出会い 時系列にて紹介。

 ○ジョー山中;1978年 コレは「人間の証明」のヒット以降に知る。

 ○ジョニー吉長:1982年夏 ロックに目覚め時、「ピンククラウド」のメンバーで知る。

 ○寺内タケシ;1981年 テレビ「笑点」ゲストで演奏したのを見た。

 ○ザ・カーニバルス;1990年 「日本ロック体系」の浅野さんのインタビュー記事。メンバーは西哲也さん、石橋さん、内山さん、ジョー、ジョニー、ともうひとりのトリオボーカル。誰だ? 

 ○ザ・カンニバルス;おそらく2000年頃 ジョニー吉長のインタビュー Mの存在とともに知る。バンドのコンセプト。BAND名へのこだわりがジョニーにあった。ジョニーのドラマーのきっかけは「ザ・カニバルス」時代の一件。曲のリズムへの指摘により次の日からドラマーがやめてジョニーが担当することになる。当時のドラマーは誰だ。西サンではないと思う。

 ○長瀬晴美;おそらく20008年頃、出会いは、邦画「黄金の犬」。

 ○ラッキー川崎;「竜童組」のメンバー、日本のロックに古くからかかわる。まさか…。

 ○ハリマオ;日本のロック史で語られないロックバンド発見。メンバーのボーカルが、後期「ザカーニバルス」と判明。

 ○西哲也;おそらく2010年 ネットTVで「ザ・カーニバルス」について話す。 ローニーさんについて。

 ○長洲タツミ;おそらく2010年 ネットラジオ新井武士 パーソナル。自叙伝発見。後期「ザ・カーニバルス」把握。

 ○市山正英;ブルージーンズ10周年記念ライブ盤1977年を購入。ゲスト内山氏とはおそらく、市山さんのことなのか?

 ○作品との出会い;2011年 ユーチューブにアップ 2015年 シングル2枚のCD化により購入

 ○バンドマネージャー;2013年頃出会い 長瀬さんのBANDへの関わり。

  

 

 

 

  BANDがいつはじまったのか?

  「ブルージーンズ」をやめた市山正英氏のバンド。結成はいつなのか1966年には活動したと思われる。

  結成にはの「ブルージーンズ」の同メンバーの寺内タケシも協力した。

 「ブルージーンズ」は寺内さんのバンドとゆうイメージがあるが当初は1ギターリストにすぎなかったかもしれない。

 ベース、ドラム担当は不明である。ボーカルは確かピーターと呼ばれる方。ハーフ(オランダ系?)。奥さんは日本人。現地へ戻ることになり、BAND存続の危機。1回目の解散とゆうことになる。「カン二バルス」でスタートしたが、バンドのイメージ、人食いはまずいだろうとゆうことで「ザ・カーニバルス」にかいめいしたはず。来日した「ビーチボーイズ」のフロントアクトで「ザ・カーニバルス」とゆう記事を見たことがある。別会場はGS「ザ・スパイダース」である。

 中期メンバーは写真でも見たことがある。ドラム原宿クロコダイルの西哲也さん。

 「初期から、ローニー(フィリピン系ハーフ)がいたよ。」とこのバンド「カン二バルス」のことを教えてくれた。ローニーは、実は「シャープフォークス」の初期メンバーにいたかもしれない。表記される記事では見ていないレベルの不確かな情報。ある情報誌で見付けた「シャープフォークス」の初期メンバーの名前があがり、その中にローニーの名前もあった。おそらくシンガーのコーラスで記載されたと思われるものであった。まだ御存命であれば、話が聞いてみたいと思う。

 中期のメンバーでベースは石橋志郎さんだ。1967年ぐらいだと思う。石橋さん、市山さん、西さんがよく知られるメンバー。

 石橋さんは寺内さんが脱退した後も「ブルージーンズ」に在籍、「ビートルズ」のフロントアクトをするので、その後の「ザ・カーニバルス」への参加だ。

 自分が見た写真は、ローニーさん、ジョー山中さん、西さん、宮崎さん、木田達郎さんだった。1967年から1968年(ジョーさんが参加1968年後半か?) 石橋さんは次のバンドへ移籍していると思われる。

 アノ寺内さんが作る現在も続く「ザ・ブルージーンズ」の前身バンドの活動を。

 今回はこの辺のお話で。まさに「ザカーニバルスものがたり」

 おつきあいくださりありがとうございます。