2月17日 いわきサンシャインマラソン NO5 | Mizuki Ashiya

Mizuki Ashiya

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ゴールした後は、一気に緊張が解れた為、歩くこともままならず、ゴールゲート近くで完走証を貰ったら、すぐに広場で寝込んでしまった。

10分くらい経った後、起き上がろうとしたら、腕が痛くて起き上がれない。
シャツを脱ごうとしたら腕と腰に激痛が走ったため、子供のように痛い痛いとわめいていたら、ランナーが数人、「救護呼びましょうか?」と駆け寄って来てくれた。
今更湿布張ってもアイシングしても痛みが治まる訳でもないので、救護を呼ばず着替えもせず上着だけ羽織り荷物を持って、駐車場行きのシャトルバスに乗ろうとした。

左に曲がって20m歩けばシャトルバス、そのまま50m直進すれば無料でかに汁が食べられる。何せ、午前2時に民宿でコンビニのおにぎりを2つ食べて以来11時間何も食べていないので、お腹が空いていた。
しかし、今まで42km走ってきたのに、普段なら歩いて30秒くらいの50m先にある、かに汁を取りに行く体力すら無くなっている。

50m歩くのも辛いので、仕方なく20m先のシャトルバスに乗った。

駐車場に着くと、午前6時くらいの暗闇に車を止めたので、自分の車をどこに止めたのか分からなくなった。

あっちこっちに行って、広大な駐車場内を30分くらい探したが見つからなかったので、駐車場にいた男性3人組に、ここの駐車場以外に別の駐車場はありますか? と尋ねてみた。

ここから歩いて10分くらいの場所に、もう一つ大きな駐車場があると言われたので、重い荷物を背負いながら、腕と足を引きずりながら、もう一つの駐車場へ歩き始めた。

歩き始めて1分もしないうちに、僕の横に車が止まった。どうやら、先程話しかけた男性が僕を心配してくれて、僕のことを駐車場まで送って行ってあげてくれ と奥さんに頼んでくれたみたい。(以後 その女性=@名無しさん) 



まさに 地獄で仏。@名無しさん が仏様のように見え、車に乗せてもらい駐車場まで送ってもらった。腕と腰が痛いことを話すと、近くの病院まで送ってくれた。病院に行く途中、あまりにもお腹が空いたのでラーメンが食べたい と言ったけど、やっぱり先に病院に行くことに。
病院に到着し診察を待っていると、@名無しさんが気を遣ってくれてラーメンまで持ってきてくれた。

ラーメン代を渡そうとするも、受け取らない。
じゃー、自宅に帰った後、お礼をするから と言っても、名前も教えてくれない、連絡先も教えてくれない。
そんな利他の精神持った人見たことない。どこの菩薩さんですか。


以前一人で山に登っていた時に水が底をつき、次の水場まで3時間くらいかかると知りながら歩いている時、今だったら缶ジュース1本3万円でも買いたいなー と思ったことがある。
その時は、偶然にも空から雨が降ってきたので地面にできた水溜りの水を手ですくい飲んだ。運良く天に助けられた。

今回も、ラーメン一杯1万円出してもいいからお腹一杯ラーメンが食べたいなー と思うくらいお腹が減っていた。
今回は駐車場から地湧の菩薩が車で横付けし、また運良く助けられた。


レントゲンを撮りお医者さんに診てもらったら、きれいな上腕骨で全く損傷なし と診断された。








でも左肘は全く動かせないので、とりあえず三角頭巾を巻くことに。
湿布をし三角頭巾をし腕を安定させると、左腕が無駄に動くことなく痛みが和らいだ。

ホッとした顔で @名無しさん に会うと、「さっきまで子供みたいに痛い痛いとわめいていたのに、骨に何も異常がないと診断されたらすっかり顔色が良くなっちゃいましたね」と菩薩に笑われた。

最後は高速道路の入り口まで送ってくれた。おかげで事故を起こすことなく無事に家に帰れた。

今思い返すと、今も昔も福島はいい人ばかり。
松平容保 田母神俊夫 柏原竜二 会津は偉人を輩出させている。
福島の人は原発なんか怖がらずに、郷土に誇りを持って生きていけばいい。


大会から5日経った今も左肘が動かない為、シャツのボタンは付けれないし、ネクタイも絞めれない。
おかげで今週からは当分の間、季節外れのスーパークールビズ。
2月17日朝、電車の中でちょっと咳をしたら、胸骨が痛み出したので、そのまま病院に行きまたレントゲンを撮る。
胸骨に異常はないが、深呼吸できないくらい痛いのなら、軟骨が損傷しているかもしれない と診断された。


人間万事塞翁が馬  人生何が起こるか分からないけど、走った距離は裏切らない。




今回のいわきサンシャインマラソン大会が、いい経験になったのかそうでないのか、未だわからない。



怪我はしたけど、それでも今回の大会で人の優しさを感じた。

復興祈念という名目の大会の為、被災者を元気にする為に福島入りしたのに、「そちらこそお大事に」 と被災者に逆に励まされて帰ってきた。


                                       (完)