母親の学歴コンプレックスに毒され、私は高校入学直後に東大合格を目指して受験勉強を開始した。

 私の高校は偏差値55程で、一応狭い地元では進学校で通っていたが、その進学実績はトップ層が現役で日東駒専に行ければ御の字というような雰囲気だった。卒業生の半分位は大学、短大に進学していたと思うが、そのほとんどが大東亜帝国より無名の、それどこにあるの?みたいな大学に指定校推薦やら浪人やらで行くレベル感、といえば分かりやすいだろうか?残りは専門学校と就職という感じだった。

 MARCHに合格するのは浪人で1人か2人居れば良い方で、早慶なんて夢のまた夢、国立大学合格もここ何年も出ていない有り様だった。

 そういう伝統のせいか、クラスメートも受験に関しては意識が低く、その中で多少マシな層でも、定期試験頑張って内申点上げて、推薦で芝浦工業大学とか、日大とかに行けたら良いなとか、そんなしみったれた夢を高1の段階から持っている、なんともケチくさい連中だった。

 私としてはお互いに切磋琢磨出来るようなライバルを求めていたのだが、周りにそういう人はおらず、期待が失望に変わり、失望は周囲に対する軽蔑感になり、次第に私は孤立を深めていったのだ。

 自分と同じ価値観を持たぬ同級生に腹を立て、「馬鹿と仲良くしたら俺まで馬鹿になる」こんな風に思い、周囲に背を向け、その結果、周囲も私を相手にしなくなり、それを私は無視されたと感じ、さらに背を向けざるを得なくなっていったのだろう。

 実際、体育祭とか文化祭とかも、いつも1人で行動していたような気がするのだ。

 今でも覚えているのは、ある時、文化祭の準備期間中だったと思うのだけど、どこのグループにも入れずやる事が無く、廊下に段ボールを敷いて寝転んで、時間をやり過ごそうとした事だ。そして、寝てたらすぐに先生が来て、「みっともないからそこで寝るんじゃない」と怒られたのも覚えている。どんだけ孤立してたんだ?というエピソードだろう。

 授業の合間の休み時間は、友達同士が集まって楽しそうに騒いだりするものだが、私は常に独りで机で寝たり本を読んだりして過ごしていた。登校して下校するまで一言も喋らない日も珍しくなかった。

 授業はレベルが低いので聴かず、時間割表を書き換えて全て自習に当てていた。例えば、英語の時間に国語の自習をやり、国語の時間に日本史をやる、みたいな感じだ。先生から見れば相当感じの悪い生徒だったに違いない。

 さらに私の場合、図々しくも授業終わりに帰ろうとする先生を呼び止めて、授業と関係無い教材についての質問とかもしていたのだから、今思うと非常識な事をしていたものである。

 まぁ、そんな感じで周囲から浮いて、ガリ勉と後ろ指を指され、友達も彼女も居ないでいつも1人で自習している、それが私の高校生活の全てだった。

 そんな生活に寂しさや後ろめたさを感じないでも無かったが、東大に受かれば全て報われると思い、ひたすら前だけを見て突き進んだのであった。