夫のベッドでデーンと気持ちよさげ。
しかもふわふわをしっかり下に敷いている

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お久しぶりです。
半月の間にあったことをご報告します。

の舞台から帰って
ラックをまめ家にお迎えに行き
義母に挨拶したラック。
義母の手を
ずーっとペロペロ舐めていた。
義母のエネルギーが低下しているのが
わかったんだと思う。

音声出ます。
そして
次の日の月曜日。
出かける前にバタバタしてて、
義母に着物姿は見せたけど
一緒に写真撮ってなかったな~、と思って
もう一度着付けをして
義母と写真を撮りました。
この時は、夕方のトイレで
介護の人が来てくれてちょうど起きてたの。
寝てることが多くなった義母だけど
一緒に写真撮ろうよ

って言ったら
ピースしてくれた

思えば、しっかりと自分の意識で
話ができたのは、この時が最後でした。
積極的治療をしない決断をした義母に
とられる方法は
痛いとか苦しいとかを
わからなくするために
意識を低下させる麻薬を使うこと。
この日の夜、
訪問診療の先生に電話をして
最終手段の麻薬を使うことになりました。
翌、火曜日の昼ごろ
長崎で単身赴任中の夫が
3日間の予定で帰省。
(元々、スケジュールを組んでいました。)
朦朧としている意識でも
息子の声はわかるらしく、
帰ってきたよ~の声に反応していました。
夫が帰省するならと
夜には義弟も顔を出し(コレも元々の予定通り)
そして、翌水曜日
11月12日22時40分。
義母は
韓国在住の長女、
長崎在住の長男と
よしえに見守られて
穏やかに旅立って逝きました。
実は昼間のうちに
訪問診療の先生が家に来てくれて
下顎呼吸をする義母を見て
これはもう苦しくない状態で
山は今日か、明日かってことを
教えてくれました。
それを聞いていたこともあって
義姉も夫もよしえも
覚悟ができたというか、
そっか、と受け容れて
その時まで義母と
一緒に過ごすという感じになりました。
義姉と夫は義母の横で
昔話に花を咲かせ
隣の部屋で
順番にご飯を食べたり
お風呂に入ったりして
自宅の看取りって
それまでが大変かもしれないけど
なんかいいね、って
みんなで穏やかなときを
過ごすことができました。
そして、
エンディングノートに書いてあった
義母の意向で葬儀はせずに
直送という形にしたので
それまでの間
自宅で安置することに。
白装束ではなく、
あちらの世界でも
ボランティアができるような普段着
を希望していたので
義姉と一緒に選んだ服を
エンゼルケアの時に看護師さんに着せてもらい
翌朝、よしえが
眉毛くらい描いてあげようよ、
と言っていたところから
義姉が
どうせやるならファンデーションから塗ろうよ。
よしえが
じゃあ、下地から塗ろうよ、となり
義母のメイク用品と
義姉とよしえのメイク用品で
めーっちゃキレイな
メイクに仕上がった義母
ホントにみんなに見て欲しいくらい
キレイな義母になりました

亡くなったことは
だれにも伝えなくていいって希望だったけど
こんなにキレイになったなら
みんなに会ってもらいたいよね

って
本当に近しい
近所の人たちに会いに来てもらいました。
みんな、義母が病気になっていたとは
知らなかったので
なんで?!ってすごく驚いていたけど
遠くにいて
看取ってもらえるはずもない子供たちに
見守られて穏やかに逝けたことを伝えると
しあわせだったねって
言ってもらうことができて
義母もまんざらでもない感じだろうな~と
思いました

きれいにお化粧して
ただ、寝てるみたいだねってクララのママ。
こんな感じでね、
たくさんのお花に囲まれて
本当に近しい人達に最期に会ってもらえて
エンディングノートの意向とは違うことをしちゃったけど
義母にも喜んでもらえたかな~と思ってます

火葬の日は
自分で着付けできるようになったばかりの紋付で。
夏に浴衣を着たときに
しつけ糸が付いたままの喪服を見つけて
誰の時に着るの?
お義母さんの時に着ないと着るときないよね?
でも、自分じゃ着られないけど
なんて義母と笑いながら話していたことが
思い出すと涙が出ます

夫が単身赴任になったあと
肺がんが発覚し
積極的治療をしない、と決めた義母と
歩んできた約2年。
たくさんの気づきと
たくさんの学びと
たくさんの感謝がありました。
お義母さん、
こんなぶっとんだ嫁と
仲良くしてくれてありがとうございました

お義母さんと暮らせて楽しかったよ

あちらの世界でゆっくり休んでね
