暇人の記録。 -12ページ目

暇人の記録。

暇すぎて忘れそうな日々の記録を綴ります。

転職サイトに掲載されている企業情報を見ていると、普通よりちょっと見た目が良い従業員を集めて楽しそうにしている写真が乗っていたりするけど(あきらかにモデルとかではなく従業員)、そういうのを見ると醒めてしまって仕事内容に魅力を感じたとしても応募する気にはならない。

「あー、この会社は従業員の見た目くらいしかアピールするところが無いのか」

と思ってしまうから。

そんな偉そうなことを言って選んでられるご身分じゃないけど、どうもダメだ。

捻くれてんのかな。
地震の後、何度か学校には行ったもののまったく集中力がない。
やる気が出ず、今週はついにサボってしまった。
地震のせいではなく元々やる気がなかっただけかもしれない。

以前にも増して家でダラダラしてる。
ネットばっかりしてるので動画ばかり見つける。

Incubusの中で一番好きな曲。
今年のフジ来る予定だけど、来るのかな?


3月11日の地震からもうすぐ1ヶ月。

私は仙台市出身で、20歳まで仙台で過ごしました。
両親と下の弟夫婦は福島県在住、上の弟夫婦は津波の被害が大きかった宮城県名取市在住。
母親の実家は、やはり津波の被害が大きかった石巻市渡波地区。
母親の兄弟など宮城県の沿岸部には親戚が多く居る。

幸い、家族・親戚とも全員無事だったけれど、心配ごとが多すぎたせいか、なかなか精神的に落ち着くことができなかった。
現地の映像が流れるニュースもしばらくは見ることができなくて、目に入るものを選ぶことができるネットのニュースばかりを見ていた。
地震発生から10日間程は、余震がひどいこともあってひとりで自宅に居ることに耐えられなくなり、猫を連れて友人宅に避難していた。

友人宅から自宅に戻った後も1週間程は何もする気が起きず、仕事に行く以外はほとんど寝ていることしかできなくて、
簿記の授業を受けに行く気力もなく、2級商業簿記の授業の半分は欠席をしてしまった。

でも食欲だけはなくならねぇ。。。。
なので確実にどんどん肥えていくという。

ここ1週間くらい、食欲が残っていたおかげか否か、余震が落ち着いてきたおかげか、精神的にも平常に戻ってきたので、
やっとニュースを普通に見たり、ブログやYoutubeなんかで現地の写真を見ることができるようになってきた。
こんな書いてるけど、この程度で弱音を吐いていたら、被災地の人に馬鹿にされてしまうわね。。。。

今回の件は文章として残しておく必要があると思ったので、あまり思い出したくないけど書いてみることに。

3月11日、私は品川区の職場で地震にあった。
揺れが激しくなってきてからデスクの下に隠れたと同時に常備してあった非常袋に入っていたヘルメットを取ろうとしたのだけど、あまりの恐さに手が震えてしまって非常袋の紐がなかなか解けなかった。やっとの事でヘルメット取り出してかぶってからもしばらく揺れが収まることがなくて、もうダメなんじゃないかと思った。

揺れが収まってデスクの下から周りの様子を見たところ、揺れの割には何かモノが落ちているということもなくなんとなく安堵。
元々サーバー用に作られた建物なせいか、3Fで低層階なおかげか。

膝がガクガクしていたけど、周りにみんなも居たし、地震の規模からしてきっと関東が震源の地震だろうと思っていたから、同僚と「怖かったねぇ~」なんて言いいつつ結構楽観的だった。

だけどニュースを見ていた同僚から最大震度7が宮城県である事がわかって、いっきに血の気が引いた。
わたしもすぐにネットのニュースを見ると震度7の速報とともに、東北地方の沿岸部に大津波警報が出ていた。

すぐに福島の両親に連絡。父母どちらの携帯も「混雑しているため...」のアナウンスでつながらず。職場の電話から家電にかけまくって30分後くらいに両親、ばーちゃん、近くに住んでいる下の弟の無事を確認することができた。けれど、一番心配な宮城の上の弟家族とは連絡が取れないまま。

弟はきっと仕事中。弟の奥さんは妊婦さんなのできっと幼稚園の姪っ子と閖上の実家(奥さんの実家)に居るだろう。2年生の姪っ子はきっと帰宅途中くらい。東北は元々地震が多いから建物が簡単に崩れるということもないと思っていたし、大津波警報が出たことはあったけど宮城県の沿岸部に実際に被害が出るような津波が来ることはなかったので、あまり心配はしていなかった。

でもワンセグのNHKで流れている仙台市内の映像は至るところから煙があがっていたりして、とても異様な光景だったのを覚えてる。しばらくして津波の第1波が仙台空港やその周辺の地域を飲み込んでいる映像が流れて初めて「マズイ」と思った。仙台空港は弟の自宅からも弟の奥さんの実家からもかなり近い。

再度、弟、弟の奥さんの携帯に電話をしまくるも、どちらも「おかけになった方面は大変混雑しています」のアナウンスでつながらない。奥さんの実家の家電は呼び出し音は鳴るものの反応がない。呼び出し音が鳴る
ということは回線が生きているから家は無事だと解釈して、焦る気持ちはあったけどどうすることもできないのでその後は連絡するのを止めた。

その時点ですでに18時頃だったかな...普段から職場から自宅まで1時間半くらいかけて徒歩で帰宅したりしていたので、電車が止まっていても帰ることはできたのだけど、ひとり暮らしで不安なこともあって、その日は職場に泊まることにしていた。

職場にはテレビはなく、わたしもワンセグは持っていなかったので、USTで配信されていたNHKを見ていたのだけど(上のワンセグは同僚の)、流れてくる映像はどれもヒドイものばかりで、荒浜で数百人の遺体が見つかったというニュースが出たりしていたので、最悪の結果も考えるようになっていた。みんなの前では平気なフリをしていたけど、トイレに行く度に誰からも見えないところで弟家族を守ってくださいと神頼みをしたりしていた。その時はもうそのくらいしかできる事がなかったからね。。。。

その後は、職場に泊まる同僚たちと、会社が用意してくれた食事を食べたり、上司が買ってきてくれたビールもどきでプチ飲み会をしたりと、なるべく弟のことを考えないようにしていた。12時過ぎまで自席で過ごしていたのだけれど、総務の人の計らいで女性は応接室のソファで寝させてもらうことができた。ただ、余震が頻繁に来ていたこともあってかあんまり眠ることはできなかったな。。。。

朝5時過ぎになり、電車も動き出しているという情報があったので同じ方面の同僚2人と共に帰宅。電車に乗っている最中にも緊急地震速報のアラームが何度か鳴ったのだけどみんなその時点で慣れっこになっていた焦る様子もなく。今になって考えると電車の中で緊急地震速報ってかなり危ない(笑)

京急川崎駅に到着すると、改札はこれから自宅に帰ろうとしている人達であふれかえっていた。私の職場の最寄り駅はかなりマイナーで京急しか走っていない駅なので混雑することもなく帰ることができたけど、こういうとき主要駅近くで働いている人達は大変だな...と思った。

同僚と別れ、自宅マンションに到着するも、もちろんエレベータは停止中。我が家は15階にあるので、えっちらおっちら階段を登って帰宅して玄関を開けてビックリ。玄関から1歩先の時点ですでに足の踏み場がないくらいゴチャゴチャで物が溢れていた。(普段からそうなっているわけではない、念のためw)

猫の名前を呼ぶと、頼りないか細い「ニャ~...」が遠くから聞こえる。。。。モノを踏みつけて家の中に入っていくと、家の中は更にひどい状態。天井に突っ張っているキャットタワーも倒れてベッドに直撃。で猫が無事なのが不思議なくらいだった。いっこうに猫が顔を出さないので、もう1回猫の名前を呼ぶと、普段は聞いたことがないような声で「ニャー...」と鳴きながらソファの下からひょっこり顔を出した。そこに隠れてて無事だったのね。。。1月に職場の人から譲ってもらったばかりの40インチの液晶テレビも倒れてダメになってしまっていた。やはり40インチは分不相応だったってことか。。。って思った。

職場が物が倒れたりすることもなく被害がほとんどなかったので、とにかくビックリしてしまった。家が15階にあって揺れが激しかったせいもあるけれど、引越しをするときに楽だからという理由でちゃんとした家具を揃えずに不安定な自作の棚ばかり使っていた事と物が多すぎるのも原因。

最近になってエレベーターで一緒になった13階の人に被害がどうだったか聞いてみたら、写真立てが倒れた程度って言ってたしね。。。14階の人は2段重ねの箪笥の上段部分が倒れてきたとは言っていたけど、きっと家ほどじゃないだろう。これを機にちゃんとした家具を揃えることと物を減らす決心しました。

で、猫の無事は確認したものの、自宅のゴチャゴチャっぷりと未だに弟と連絡が取れないことで途方にくれてしまいひとり泣き出してしまった。ほんとうに途方に暮れるっていう気持ちはこの時が初めてだった気がするな。しばらく泣き続けてたんだけど、泣いててもどうにもならないと思いなおしとりあえず片付けようと気合を入れて片付け始めたところで、iPhoneが鳴り、画面を見ると「まなぶちゃん」と弟の名前が!!!!

声を聞いた瞬間から無事だったことに安堵してまた泣いてしまったのだけど、どうやら昨日の夜の時点で両親には連絡付いていたらしく私が知らなかったことに驚いていて、弟と若干の温度差が。奥さんも姪っ子2人も奥さんの家族も全員無事。それを聞いてまた泣いてしまう。。。が、おいおい泣いてる途中で回線が不安定なせいか電話が切れちゃって、またそのまま電話はつながらなくなってしまってまたなんだか温度差が。。。。(笑)

そのあともしばらく「よかった~よかった~」って一人で泣き続けてしまい片づけは中断。だいぶ長い間泣いてたなぁ。。。。
今まで好きな人からかかってくる電話とか嬉しい電話っていろいろあったけど、あれほど嬉しい電話は初めてだって断言できる。

その後に父親経由で聞いた話では、地震発生時に奥さんと姪っ子が居た閖上の家は流されることはなかったものの、奥さんは姪っ子をかかえて逃げている最中に津波を被ったらしくかなり危なかったそうで、逃げている最中に見知らぬおじさんが姪っ子を代わりに抱いてくれて、その後にたまたま通りかかった親戚のおじさんの車に乗ることができて助かったとのこと。家の1階部分は浸水。裏にあった家は流れてしまい別の家になっていた。

無事で居てくれてほんとによかった。。。。

。。書いてて、なんだか気持ちが落ちてきてしまったので今日はとりあえずここまでにしとこう。
原発や計画停電の件で東電を批判している人が多すぎる気がする。



停電しないなら最初から計画停電なんてするな?

どうして「停電しなくて良かった」って思えないの??



計画停電がずさんで電車が動かなくて大変だった??

は??電車が動かないと生きていけないの??

あなたのその2本の足とその頭は何のために付いているの???



たしかに人工呼吸器など電力が命綱になっている人も確かにいます。

そういう人達にとっては死活問題なのは確かです。



でも、私たちは1日数時間の停電くらいで命の危険に晒されることはない。



原発で作業している人やその家族、関東の人達が無駄に消費する電力のために危険に晒されている原発付近の人達の事を考えたら、私たちは文句なんて言える立場じゃない。



東北の寒さは関東の比ではなく、3月とは言え暖房なしで耐えられる寒さではありません。



避難所では暖房なんて使えるはずもなく、1枚の毛布を数人で使わなくてはならず、明日食べるものが確保できるのかもわからない状況です。



みんな、生きるために奔走しています。



家族が亡くなった人、家族の安否がわからず連絡を待っている人がまだまだたくさん居ます。



そういう人達を考えれば、毎日食べる事ができていて、寒さに凍えることもなく、安全に暮らすことができていることに感謝しなくてはいけない。



行政や東電の対応を批判している人達は、自分がどれだけ恵まれているか考えて謹んでほしい。



批判する暇があるなら、これから自分たちに何ができるか考えて欲しい。

1月頭にT○Cの3・2級コースに通い始めて、6月の2級を目標に勉強してました。



で、2月27日に簿記3級を受けてきた。(第127回)



試験前の平日5日間は仕事の後に3時間勉強、土曜日は昼から21時過ぎまで勉強。今までの人生の中でいちばん勉強したんじゃないか、っていうくらいみっちり勉強。



だいぶ頑張ったので、過去問はほぼ解けるようになっていたのだけど、第5問の精算表の推定問題だけは6割くらいしか理解ができていなくて、推定問題が出ない事を願って試験に臨んだ。



で、本番。




すぐに第5問をチェック。推定問題ではなく、ノーマルな精算表で安堵する。



試験中は捻った問題もなくてスラスラ解くことができた。最後30分くらい時間が余るくらい。見直しもして、完璧に提出!....したつもりだった。



試験終了後は、かなりの手応えを感じてかなり清々しい気持ちになり、解答速報会をやってるT○Cまで歩いて40分くらいかかるのだけど、気持ちが晴れやかすぎて歩いていったくらい。



T○C到着後は講師の方が来るまでの待機中にもらった解答で自己チェックしたところウキウキ気分はどこへやら、驚愕の事実が発覚してしまう。



なんと、第5問の精算表の決算整理仕訳を書いていた計算用紙の上部に第4問(だった気がする)の仕訳も書いていたのだけど、なんとこの全く関係のない第4問の仕訳を第5問の精算表に含めるという失態をしてしまっていた!!!





OMG





まぁ、もうこの余計な仕訳のおかげで配点箇所であろう「当期純利益」は合いません。



ついでに、決算整理仕訳の中に「受取手形と売掛金の合計に対して貸倒引当金を設定する」というのがあって、第4問の仕訳にある「売掛金」を含めて貸倒引当金を設定してしまっていたので、まぁここも誤答になってしまうというね。



その後、先生が登場し各問題を解説してくれたのだけど、まったく頭に入ってこず、ずーーーっと第5問の計算合わせをしてた。なんということか、その他の問題も答えは合う形で回答できているのに、ひどすぎる凡ミスがあまりにも多くて自己採点の結果は69点....。合格点は70点....。



4月中旬の結果が来るまでドッキドキです。

本日、帰宅をしたところ先月の法学入門の結果が届いていました。

これで62単位(スクーリング16単位)となりました。


つまり....





卒業確定!!!



きゃー!!!

うれしすぎるー!!!

信じられないーーーーーラブラブ!ラブラブ!ラブラブ!ラブラブ!ラブラブ!ラブラブ!ラブラブ!



マジメな話、入学したときから絶対に卒業するつもりでやってきたので、卒業できなきゃ困るのだけど、実際に卒業が決まると嬉しさ炸裂!!!


実は、わたしは高校を1年で中退していて、10代の時に通信制高校に2年在学してから上京することになり挫折、8年ブランクの後、転職を考えるようになって高卒認定試験を受けてから産能に入学という経緯があります。


高卒認定試験を受けるまでは、通信制高校を卒業するしか高卒資格を取る手段はないと思っていて(大検は知っていたけど、難関試験というイメージがあったので調べようともしていなかった)、いちど挫折したのにまた通信制高校に行こうという気持ちにもなれなくて、自分はこのまま中卒で生きていくんだろうな、、、、と思ってた。


その半面、高校だけは卒業しなくちゃ!という気持ちがどこかにあって、たとえば資格取得を目指すとか、何かにチャレンジしようと思い立ったときに、「まずは高校卒業することが先決」という妙な気持ちが出てきてしまって資格の勉強を始めることもせず、高校卒業しようと努力するでもなく、結局、中卒ということがとても大きなコンプレックスになっていて何かにチャレンジすることを諦めていた気がします。


このことに気が付くのがあと5年早かったらな....って思うことも正直あるけれど、いろんなことを経験してきたからこそ達成できた事かもしれないし、卒業できるまで頑張ることができた、というのは今後いろんな事にチャレンジする上でとても大きな自信になると思う。


今年は資格取得のために頑張って、また来年に大学に編入する形で産能に戻ることができたらいいな。