先ほど母親から電話がありまして、祖父が亡くなったそうです。
こんな時間に携帯ではなくて自宅の電話が鳴る時点で通常ではないので、覚悟が出来てました。
覚悟?
ちょっと違うかも・・
予感が近いかな。
あ、これはって思って電話に出たら静かに母親が話し出すのです。
直ぐに察しましたよ。
祖父に最後にあったのは祖母の初盆です。
つまり今年の8月。つい2ヶ月前ですよ。
おじいちゃんは祖母の葬儀の時も相当やせ細っていたのですが、8月にあったときはもう骨と皮と言っても良いほど小さく纏まっていました。
自力で歩くこともモノを持ったりすることも出来ない体でした。
筋肉が痩せ落ちて、足なんか枝のよう。コンパスのような足という例えが高校の教科書に一説にありましたが、まさに細長い棒が二本付属している状態です。
食事の時に傍らで見ていたのですが、ショックでした。小学校1年生の姪は正直で怖がって自ら近寄りもしなかった。
祖母の葬儀の時に感じた微かな元気が、初盆の時には半減しているようで、あまり長くはないと感じていました。
その点今回の訃報は、驚きが少なかったです。
驚きが少ないと言っても涙は出ます。現に今だって目に水を溜めて、書き残さなきゃと言う意識の中書きつづっています。
祖父とは祖母同様になかなか頻繁に会うことが出来ない存在でした。
長崎と名古屋。一日で往復が出来る時代ですが、離れています。
小学校の時、夏休みや正月休みで遊びに行く程度。
それも年を追う事に回数も減り、中学高校になれば一・二度行ったかどうかの記憶しかないです。
その為祖父の記憶といえば小学校の時に構ってもらったモノが殆ど。
言わば、おじいちゃんなんですよ。祖父ではなく、おじいちゃんとしてお小遣いをくれたり、どこかに連れて行ってくれたり。
おじいちゃんは恥ずかしがり屋のひょうきん者だったと思う。
あまり積極的に遊んでもらった記憶がないけれど、それでも大切なおじいちゃんでした。
初盆の時に祖父の部屋で戦時中のアルバムを見せてもらいました。
祖父の下には容姿端麗な弟が居ました。写真を見ても確かに男前で、話しに聞く限りではとてもモテた人だったみたいです。
その弟に対して、祖父はひょうきん者の三枚目でした。度々嫉妬していたらしいです。とてもひょうきんな写真が多く、とても戦争の時代を感じさせない写真ばかり。オシャレで小粋な風貌の写真が多く、想像の戦時中とは別世界でした。
祖父の弟は残念ながら特攻隊で戦死なさったそうです。そのお墓もちゃんと祖父が建てて供養していたみたいです。家長としてちゃんと振る舞っていたみたいです。恥ずかしがり屋だったので頑固だったみたいです。ワガママっというのか^^;そういうところがカワイイ人でした。
祖父の写真はどれも良い顔しています。きっとイイ人生だった証拠でしょう。
戦争を体験して、5人の子供の恵まれて、8人の孫に慕われて、2人のひ孫にも会えた。
おじいちゃんにとっては私たち孫はどんな存在だったんでしょう。
ちゃんとわたしのこと覚えていてくれたかな^^;
孫の中では一番若いので、非常に接した期間は短いのですが、ちゃんと覚えててくれたら嬉しいな。
多分祖父の葬儀には出席しません。
バイトがあるのがまず理由です。そんなの休めと言われそうですが、急に代理を捜すのもこの時間です、難しい。葬儀の日は多分何の予定も入れてません。その翌日にまたバイトがあるので、行くにいけないんです。月曜日は特に入れる人が少ないので。
祖父には可哀想なことをしていると思います。分かってます、後悔すること位。でも、何だか葬儀に出ている自分が想像できないんです。予感とでも言うんですかね、式のことを思いながらケーキを売っているビジョンが浮かんで、全く参列しているビジョンが浮かばないんです。
祖母の時のように変な感覚が感じられないんです。焦燥でしょうか・・焦りよりも予定を冷静に見据えている自分がいるんですよ。母も電話越しにバイトがあるって伝えたら、「じゃぁ無理ね」と言ったから、焦りが取れたのかな。土日なので祖母の時と違って姉が立ち会ってくれると思います。私は遠方から冥福を祈ります。現金な奴と思われるかも知れないけど、なぜだか今はそれしか思いつかない。長崎に向かうビジョンが殆どないのが不思議な位です。
出来れば親族全員で参列してあげて見送ってあげるのが理想的なんでしょうけど・・・・・後悔が怖いです。
実は両親は来週長崎に行く予定でした。祖母の一周忌を早めに執り行う予定で。
後一週間もってくれたらと残念でしかたないと思います。
祖母の葬儀の時に覚悟は出来ていたみたいですけど、やはり両親が共にいなくなるのは辛い心境だと思います。
悲しんでいる母の姿を見たときに、こんな表情するんだと胸が締め付けられました。また同じ光景を目にするのは正直怖いです。式以外の姿は親族共々笑顔なんですけど、やはり別れを意識すると誰もが涙を流します。
私も自然と号泣。身近じゃない存在だったはずなのに離れてしまうのが悲しくって涙が溢れてきました。
親族で初めての葬儀だったのでそれは衝撃でした。今も涙と鼻水が顔面を湿らせて苦しいです。
身に気が入らない。近いうちにお寺さんで冥福を祈りに行こうと思います。宗派関係なく、思う気持ちがまずは大切だと思うので、気持ちを喪にふくしていこうと思います。