チャーリーの夜空見上げて -2ページ目

平成初年度のスキーブームと平成最後の冬

 あけましておめでとうございます。

しかしお一人だけ喪中の方にお年賀の挨拶をメールしてしまい、知らないこととは言え、失礼をしてしまいました。

 今年は平成元号最後の年ですね。ちょうど31年前、昭和64年に昭和天皇がご崩御された時、その日は当時勤めていた会社の慰安旅行で岐阜県の今は閉鎖された、新穂高ロープウエイスキー場にいました。

 生まれて初めてのスキーでゆるい斜面も恐怖で降りられず、みんなが滑って「どうやった?初めてでも大丈夫?」ってみんなにきいてからスキーをハの字に開き、後傾のブサイクなボーゲンでゆるゆると降りていきました。約500mくらいだったかな?比較的長めの緩やかな斜面をなんとかコケずに降りれました。「なんや、できるやん!楽し!」と二本目。コケまくりました。全然だめでした。

 昼からSAJのスキー学校で半日のスキー学校でレッスン、1から教わりました。2日間のスキーでしたが、ハマりましたねー。そのシーズンは春までにあちこちのスキー場に4回位行って、次のシーズンはお下がりの道具では飽き足らず、靴、ウエア、板と揃え、戸倉、志賀高原、栂池、戸狩、ハチ北とスキーに行き、一人で六甲山の人工スキー場にも行きました。ハチ北の北壁に一日中はりついてたなぁ。最後はヘトヘトになりましたわ。

 次のシーズンも志賀高原に2回行き、バッチテストも受け3級を取得、その次のシーズンは八方でもう一度スキー学校でレッスンを受け2級のバッチテストにも挑戦。見事合格しました。試験は八方の黒菱で行われ、「黒菱で2級取ったぞ!」と少々自慢でした。

 当時はバブルでスキーブームで10万円の板7万円の靴などが飛ぶように売れ、ウエアの価格も7、8万したと思います。でもスキーのスタイルや板そのものの形も変わり対応できない国産メーカーは次々と倒産、スノーボードの流行もありめっきりスキーヤーがゲレンデから減っていきました。

 私の板も、YAMAHAの最後のモデルで今のショートスタイルの板とは違うので、仮にゲレンデに行くと恥ずかしいのかなと思います。映画「私をスキーにつれてって」のビデオを買いシーズン前にはそれを見て気分を盛り上げ、シーズンが終わると技術選のビデオを買い勉強したものです。

 今は体力も無くなっているので無理だろうな。1,2年前、突然ゴルフがしたくてコースで出たのはいいが練習もせずいきなりだったので18ホールどころか5ホール目くらいでヘトヘトになりました。現役でボウリングをやっているときは試合で一日中投げても平気なくらい体力があったのですが病を得、やめてからはめっきり体力が無くなりました。

 スポーツをしなくなってから歩くことにして、10キロくらい歩いても平気だったのに、今は通院するだけでしんどい。まあ、たまーに1万歩くらい歩きますけどね。

 私、自分に対してのネグレクトみたいなんですよね。部屋は汚いし、使わないものでも捨てられないし、食べ物は腹が膨れたらいいし。そりゃ病気にもなりますわね。

 そかー。31年たったのですね。阪神大震災あったし台風もあったし。まあ、これからもあるんだろうけど、私の平成はちょうど大人になって働いていい目もしたし、楽しいことも、悲しいことも、悪いこともあった。私の人生の濃い部分でしたね。昭和は子供、平成は大人、次の元号の時代は壮年期になるのかな?

 あまり長生きできそうにもないけど次代は日本にとっていい時代になるといいな。若い人が安心して子供をたくさん生んで育てられる時代。そこから再スタートではないですかね?やっぱり少子高齢化は国には良いことは一つも無いと思うので。

 平成最後の年頭に思い出したり、思ったことでした。