プリンのピアノも一段落し


かねてから行きたがっておりました義母のお見舞いに連れてまいりました


私は嫁の中で、当番制を決めまして


母のところには日参しておりましたので


やっといけるというのが、プリンの気持ちでした。


エイトはですね・・・


病院は面会時間がありますので


そのお時間に自習室や塾を抜けていくことはちょっと難しかったので


病院には行けずじまいでしたが


久しぶりに見る母は彼女から見てショックだったと思います


病院には18日間入院しており


私たちがいく次の日とりあえず退院が決まっており


母は、喜んでおりました


よくなっての退院ではありません


うちはおうちに帰っても母の必要とする医療設備と人手は


幸いありますので、はっきりいって入院の必要もなかったのですが


これは母たっての願いで


このお盆休みにパリにすむ姉が帰ってくるので


それまでに体を治す目標としての入院(本来そんなこと無理なんですけどね。)


だったのです。


私と、義妹はいつも見ているし、用事もあったりで、じっくり母を観察したりしていなかったのですが


プリンいわく、


「とても苦しそうな表情の時が何度もあったよ」


と言っていました


母は、ちょっと考えられないくらい我慢強い人で


母がしんどいというときは本当に本当にヤバイ時でした。


きっとその時も苦しかったと思います。


でも、お姉さんが帰国するから何が何でも家に帰らないといけなかったでしょう。



姉の帰国は13日の月曜の午前予定でした。


13日の朝、義姉より連絡がありました


「母の様子がよくないので

会いたい人は来てください」


12日から主人もお盆休みでおうちにおりましたが

プリンはピアノの翌日から予備校の夏期講習

エイトは自習室でその日夜は塾


とりあえず連絡しまして


朝方本当に意識がなくなりそうな時があったようですが、

姉が駆け付けた途端、意識が奇跡的に戻り

起き上がれるまでになったようです。

やはり母は姉が帰ってくるのだけを待っていたのでしょう


プリンは普通に授業を受け、戻ってきたら母に会いに行くと

エイトはとりあえず

ゴールデンウィークからずっと母に会っておらず

母もエイトに会いたいと漏らしていたので

自習室を切り上げて

母に会い戻ってきました

エイトがあった時がちょっとしんどそうでしたが

とりあえず母と話ができて良かったと

そしてまた塾へと向かいました。


夕方再び母のところに行くと

比較的元気(でもありませんが)そうでした。

姉に

「母がみんなで夕飯食べたいというんだけど

都合どう?

ピアノとか大丈夫?」

と聞くので、

もう終わったから今は時間があることを告げて

みんなで一緒に過ごしました


もう母はその時はっきりと話はできませんでした

が、

みんなに車イスに乗せてもらって

一緒に食卓をかこんでいました。

右隣はプリン

左隣は姪で


プリン曰くずっとずっと母は泣いていたと言っていました。

でも、みんながおせっかいすぎるほどいろんなものを口に運ぶので

いくらかは口に入れたようです。


そんな時も母は

「もう遅くなるからもうおうちにお帰りなさい」

とみんなを気つかっていたと聞きました。



その夜、大雨でした。

朝方けたたましく雷が鳴り目が覚め

本近くに、ものすごい音がして

近くに雷が落ちたのかなあと思っていました。

と同時になんとなくよくない胸騒ぎがしましたところ


義姉より連絡で

いましがた母がなくなったと聞かされました。


マザコンの(爆)主人はさすがに泣き


娘たちは、


「よかった~昨日皆で楽しく過ごせたんだよね。」


と言いながら涙していました。


私は父を4年前になくしていますが


もちろん病院で亡くなったので、そんななくなる前の日にみんなで夕飯なんて

とても考えられる状況ではなかったので、それだけでも母は幸せなんではないかと

思いました。最後まで、父は

「次に行くレストラン、予約しておかないとね}

とプリンにいっていたくらいでしたので・・・


聞くところによると母は、


トイレに行きたい甥と、義妹にいい


二人に抱えられて


用を足してその後力尽きたと聞きました


つまり汚れたものを排出してから旅立っていったのです。


母はいつもきれいな死に方がしたい


母の姑(ひいおばあ様に当たります)が


本当に素晴らしい死に方をしたので、私もそうありたいとかねてから


聞かされてはいましたが


はあ・・・・


私には残念ですが無理です。



8人の子供を生み、育て

その中の5人の男の子を医療人として育て上げた母


かねてから母は私がなくなったら

献体したいと言っていたようです。

自分の体が、これから医療人として育っていく若い人の

ために役立てたいと

大阪大学の白菊会という団体に登録していたそうです。


つまり、一般のようにお葬式→火葬場→お骨拾い

→骨壷を持ちかえり


というのがなく

葬儀場から、その白菊会のお迎えの霊柩車(というのは名ばかりのワンボックスの普通の車)

で、お別れするというものでした。


お骨と会えるのは、早くて2,3年後という話です。

母の遺体は大学に保管されて、

お役目が終わった時、一斉に荼毘に付されるそうです。


そして、四天王寺にある(これも奇遇です!!)慰霊塔で

慰霊祭が行われたのちに

やっとおうちに戻ってくるらしいです。


バタバタと式等は終わり

仕事のことを何よりも気にしていた母は

キチンとお盆休みの間にすべてが終わるようにしてくれました

姉が日本にいる間に

すべて終わりました。



私は嫁なので、遺品整理とかしなくていいので

事が終わってようやく普通の生活に戻りました。


が、なんだかやはり疲れてしまって

ちょっといろいろなことがやる気は今のところ起きない感です。


長々と私の近況ブログを読んでくださった方、ありがとうございます。


やっと書く気になった

こんな感じです。


ピアノのこと、母のこと

これからまだまだあるエイトのこと


中学の時、勉強がちょっといやになって

だらだらしていた時もあったエイトが、彼女の進路を決め

母にそれを報告した時の母の喜びよう。


なかなか結果に結びつかない状態ではあるのですが

なんとかあるコンクールで全国大会まで行けて

(そのできは置いといてね)

好きなことに打ち込むプリンをいつも暖かく励ましてくれてた母


彼女たちもこれから頑張ってくれればいいなと

思いました。



私もう~ん何を頑張れえばいいのかな

とりあえず、毎日の生活

家族のサポートでしょうか。


天国の母に叱られないように頑張ります!