【改訂】ドナウ河自転車旅行 目次

 

 

Pyce (ルセ) 7:40出発 ⇒ Tutrakan (トゥトラカン) Тутракан 12:00着

走行64km

2000年8月25日(金)

晴、薄曇多し、逆強風吹きまくる

 

 

 

 

●Ekaterinaと知り合う

23歳、才媛、長身 (長女に似る)。

彼女の母はロシア人、父はブルガリア人。

Veliko Tarnovo (ヴェリコ・タルノヴォ) の大学で歴史学を専攻する。

23歳同学年の男兄弟あり。

14:00~16:40まで、昼食を含め付き合ってくれる。

英語は苦手と見えて、しきりに言い直す。ロシア語は母に習って得意のようだ。

 

●歴史博物館2館の案内を受ける

1966年122kgの巨魚の写真がある。

1989年には200kgの魚が黒海から遡上して来たとか。

 

●宿

Tutrakan (トゥトラカン) は、人口1万の小さい町。

ホテルがあるのか心配していたが、警官に尋ねると「目の前の歴史博物館へ」と。

不思議に思っていると「We keep Hotels」とのこと。

案内を受けると、2階建ての2階のみに5室ほどあり。その単身者用に10Levで泊まらせてもらうことになる。

部屋内に机、トイレ、シャワーあり、申し分無し。

 

●今日の体調

なんだか調子が良くない。昨日よりは少しマシなようだ。

お腹の調子も良くなったようだ。しかしダルい。

 

●ドナウ

宿のほぼ前を流れる。コンクリート岸壁で、観光用には出来ていない。

 

●今日の道路

今日も高原地帯。それも、ドナウが一度も接近しない平凡な農村地帯、荒野地帯を走る。

よって、全路、過去のサラリーマン時代の会社員生活を感傷的に振り返る。

あの頃の苦労、技術力の低さ、Y浜君の我儘人生など。

 

●博物館 (別館の方) のビジターノート

1998年の日本人男性の記帳がある。年齢、来歴、全て不詳。

小生は全文日本語で沢山記す。来館の経緯のほか「この町のドナウでとれた1966年の122kg、1989年の200kgの巨魚を、ピクチャーカードにして市販してほしい。町の名誉にもなるはず。」と書く。

 

●釣人

この町も貧乏なのか、岸壁で竿さす人の半分は釣り竿ではなく、材質は何であろうか、自然木を利用している。

彼等の糸もスゴイ。木綿糸であろうか、白くて太いことがよく見える。それが実によく釣れる。

投げ網の効率の悪い事!!投げ方も下手、魚もほとんどかかっていない。

 

●17:00宿に戻ると、庭に3人組チャリダーが食事中。

18:10去る。のんびりしたものだ。

荷物も少なくテント無しだが、ホテルには泊まらない10日間の旅とのこと。

 

●明後日のルーマニア

その国旗は左からブルー、黄色、赤。

 

●絵ハガキ

夜、妻など2名に書く。

 

 

Pyce (ルセ) のホテル

ドナウ河自転車旅行 2000.08.25(金)7:40


 

歴史博物館 1966年122kgの巨魚の写真がある

ドナウ河自転車旅行 2000.08.25(金)

 

 

Ekaterina23歳 母はロシア人 父はブルガリア人

ドナウ河自転車旅行 2000.08.25(金)

 

 

Ekaterinaと昼食

ドナウ河自転車旅行 2000.08.25(金)

 

 

Ekaterina23歳 Veliko Tarnovo の大学で歴史学を専攻

ドナウ河自転車旅行 2000.08.25(金)

 

 

宿の庭にて食事をしていた3人組チャリダー

荷物も少なくテントも持たず、ホテルには泊まらない10日間の旅とのこと

 

 

後日、3人組チャリダーが写真2枚を日本へ送ってきてくれた

 

 

Tutrakan (トゥトラカン) Тутракан 歴史博物館の2階が宿

ドナウ河自転車旅行 2000.08.26(土)7:00

 

 

妻への葉書No.7

ドナウ河自転車旅行 2000.08.25投函 ⇒ 09.08宝塚着