【改訂】ドナウ河自転車旅行 目次

 

 

Praha (プラハ) 連泊

走行54km

2000年7月09日(日)

早朝より久し振り太陽が顔を出す、昼過ぎにわか雨、のち曇

 

 

 

 

●体調

喉が痛い。風邪のようだ。鼻を何度もかむ。

 

●Olšany (オルシャニー) 墓地公園

人見絹枝女史の記念碑、見つけられず。

Olšany 墓地は矩形の大墓地。隣も名は異なるが同様の大墓地。

他の2ケ所、及びスポーツグランドも探したが、3時間の探索実らず。

そもそも、心配してたずねてくれた地元民の「彼女は、ここ Praha で死んだのか?ここで埋葬され眠っているのか?」に、「No」と答えたが、確かに記念碑が墓地にあるとは思えぬ。

それに、どこの墓地も樹木が繁茂しうっそうとしていて、記念碑などの建立には全くふさわしくない。残念ながら諦める。

 

●オリンピック記念会場

中華料理店で会った2人の警官に「70年前ここプラハで行われたオリンピック会場は?」とたずねて、そこから近くのモルドウ川 (モルダウ川、ブルタバ川) 沿いのそれらしき場所を訪うも、巨大な「ホテルオリンピック」はあるが、高層集団住宅で埋め尽くされ、その面影は一切残っていない。真ん中に小さい公園があるのみ。

 

●昼食は中華料理

ビール1+スープ+丼=123KC。

 

●夕食も再び中華料理店へ

受付のお嬢さん、実に可愛い。

ビール1+肉包菜+八宝菜=180KC。大食す。

八宝菜はチリ紙に書いて示した。

「再見、私帰日本」とも書いて、手を振りあって別れる。

 

●長姉など計3枚、絵ハガキを書く。

 

 

 

ドナウ魚釣り 巨魚4匹 親子3代3人

ドナウ河自転車旅行 2000.07.01(土) 9:00 晴

 

 

ドナウ河自転車旅行 2000.07.01(土) 9:00 晴

 

 

ドナウ河自転車旅行 2000.07.01(土) 9:00 晴

 

 

妻への葉書No.3

ドナウ河自転車旅行 2000.06.27投函 ⇒ 07.06宝塚着