思い出といっても、もう50年も昔のことだ。横浜でも海があるわけではない。ただの田舎町だった。そこを久しぶりにグーグルストリートビューで調べてみた。
当時借家だった我が家はまだあった。
小学校は、完全に配置が変わっていて、懐かしさはなかった。よく遊んだ神社跡地の公園はまだあったし、特徴的な長い石段はまだあった。
50年前の横浜というか日本は、ものすごく貧富の差が「庶民」の間ででき始めた時期なのかもしれない。ご自宅訪問 というカタチで、まだ子供だったのに両者を見てしまった。
なぜその子Aの家にみんなで行ったのかは覚えていない。学校の課題的な記憶がある。平屋建てで崖のそばに家があり、部屋数は一つか二つ、お母さんらしき人が横になっていた記憶がある。グループ活動だったので、4〜5人もその家に居ると子供でも迷惑かなぁと思った。
時期も理由も別ではあったが、逆に驚くBさんのお家訪問をした。お友達としての訪問。
前者の家とそう遠くない場所。小学校の学区内なので。10階建てくらいのマンション。私は今まで住居として5階建てくらいしか見たことがなかった。
でも、本当に驚いたのは、エレベーターに乗ってからだった。
子供だから、マンションにエレベーターが付いていても不思議は感じない。だが、ここのは、たった一軒のためのエレベーターだったのだ。
エレベーターを降りたらドア一つ。
ずっと続く部屋・部屋・部屋。やっと窓にたどり着いて振り返ると、少なくとも3方向がこの方たちの所有空間だったのだ。
ハシタナイ私は、さっそく部屋の数をこっそり数えた。・・10部屋。わかる限り。
いかにも病気の母子と休みは海外に行くようなおウチ。
まあ、明治の時代なら、お華族さまは後者で私を含めた庶民は前者だった。でも、今や才覚で華族の暮らしもできる、そんな時代だったのかもしれない。
これがおそらく「昭和」の時代なのかな。