これから母が書くことを
決して重い話しと思わず
ひとつの考え方として
読んでいただきたいのです。
過去は、まだ傷が残って
引きずっていることで
現実として向かい合い、
自分の中で咀嚼して
かみ砕き消化して
乗り越えたら
それは思い出になるもの
なんです。
もちろん負った傷は
薄くはなっても
一生消えないものでしょう。
『過去』は
傷口がまだ
ジュクジュクして
膿みもでて血も流れて
いる状態だと思います。
傷が塞がり、傷痕が
薄くなるまでには
時間が必要です。
時間がかかるものです。
大小の違いはあると
思いますが
傷を持っていない人なんて
いるのでしょうか。
誰でも背負っている傷も
棺桶まで持っていく過去を
持っている人も
いるでしょう。
まぁ…母もその一人
ですね。
誰にも言いたくない
ことがあります。
だから過去のまま
まだ出血している過去です
人に話せるのは
思い出になっている
話しだからです。
太陽が話したことも
思い出になっていたから
だと思います。
傷を晒して
大変だったね、と
同情してほしかった
からではなく、
現実を見つめ乗り越えて
今は幸せだよ、と
話したかったのだと
思っています。
相談した時も
きっと気持ちの中では
方向性は決めていて
ただ、進んでいく
タイミングが掴めずに
背中を押してほしかった
のでしょう。
上を見てもキリがない
下を見てもキリがない
目の前の現実を見詰めて
破壊するなり
乗り越えるなり
自分の方法で
進んでいきましょう。
『過去』を『思い出』に
出来る日がくることを
信じています。