当時、不機嫌で神経質な担任のことを私はどう思っていたのか。怖れてはいたが、嫌いだとは思っていなかった。
母は「厳しくていい先生だ」と言っていたし、そうなんだろうと思っていた。

ところが、中学・高校と年齢が上がるにつれ、自分の本当の気持ちが分かっていった。

怖かっただけではない。嫌いだった。十分大嫌いだったのだ。いや、むしろ憎んでいた。
私の人間性に多くの影響を与えられたからだ。

クラスの決まりは他にもあった。突然できて、突然終わった決まりもある。

それは、「クラスの決まりごとを破った人がいたら、残り全員で一回ずつ叩いていい」というものだった。
今なら、間違いなく問題になるとんでも案だろう。仮にクラス百叩き法とでも名付けようか。

K君という男子がいた。勉強はできる子だったが、担任によく叱られていた。目をかけられている、というより目をつけられていると私は感じた。

クラス百叩き法が成立してすぐ、そのK君が第一の犠牲者になった。

今でも思い出す。教室の後ろのスペースで、一斉に彼を取り囲みクラス中が団子になっていた。子供は残酷だ。一回ならば合法的にぶてるのだ。

私はと言うと団子のすぐ外側でただ立ち尽くしていた。加わる気はなかった。ぶたれたら痛いのは、わざわざ教室で教えて貰わなくても体験済みだ。
とは言っても、皆を止めることも出来なかった。

私がずっと忘れられないのが、皆にぶたれた後、席に戻った後のK君の目だ。
「お前は、やらないと思っていたのに、裏切ったな。同じ目に合わせてやる」

彼は涙ぐみながらそう言った。怪我はしてなかったと思う。メガネの奥の目は涙だけではない、強い光を宿していた。
惨めさや悔しさ、憎しみ、それを何とか討ち果たそうとする意志だろうか。

何故、彼が私はやらないと考えたのか、それを裏切られたと思ったのか。それはもう誰にも判らないだろう。

「私はぶってないよ」と言ったが、彼は信じなかった。そして、宣言通りに私を第二の犠牲者にした。
やってないことをやったと言われ、やっていない証明はできなかったのだ。

不思議なことに、このクラス百叩き法はそれ以降執行されることはなかった。
これも何故だか判らない。「このくらいでいいだろう」と担任が判断したのかもしれない。誰かから話が洩れて、密かに問題になったのかもしれない。

いずれにしろ、もう誰も覚えていないだろう。

けれど、私はあの時の彼のあの目が忘れられないままに大人になった。
大人になった自分が、もしあの場に行けるとしたら、子供の自分とK君をただ抱きしめたいと思う。
「君たちが悪いんじゃないから…」と。