小学校4~6年生の3年間、同じ担任だった。5年時にクラス替えがあったが、たまたま同じ担任のクラスになった訳だ。

10歳ばかりの子供にはずーっと年上の恐い男の先生だった。常に眉間に深いシワを寄せ、不機嫌で神経質な人だった。
大人になって集合写真を見たら、せいぜい30代後半だろうと思ったが、自分の親と変わらない年配者には違いない。

昭和40年代,、少なくとも私の住んでいた所では、学校の先生は絶対な存在だった。親も子も反論するそぶりも見せられない。
当然、鉄拳制裁は朝飯前だ。

この担任も「前の学校では~」を前置きに、「悪さした子を殴ったら、教室の端まで飛んで行った」と強面ぶりを隠そうともしなかった。
「そこまでされないのをありがたく思え」とか「本当に怒らせるとそうなるぞ」という意味があったのかもしれない。
それって、難しい言葉で言うと脅迫だよね。

ともかく、この私のクラスは担任を専制君主に戴く鎖国的学級帝国だった。

クラスの決まりごとは幾つかあった。

その一つが、男子同士は君呼び、男女間と女子はさん呼びをしなければならない、という決まりだった。担任の鶴の一声である。
社会に出たら、名前を呼ぶ時はそうするからといった理由だったか、お互いを尊重し合わなければいけないという理由だったか。
いわゆるあだ名づけは禁止された。

これは少なくとも担任の目の前では、厳密に守られていた。

けれど、何処にでも何故か必ずいる。相手が不快になるような絶妙なあだ名をつける人間、自分より弱い子には尊大に振る舞う人間。
子供は残酷だし、そういうタイプの人間は子供の頃から見事に才能を開花させているから、そんな決まりを遵守する訳がない。

陰では弱いものイジメが当然始まり、当然続けられた。