震災から5年 | シャアのひとりごと

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2010年11月にauoneブログから移転。
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その日にあったことを書いています。
最近はあつ森とスプラ3のことが多いです。

2011年3月11日なにしてた? ブログネタ:2011年3月11日なにしてた? 参加中


震災当日は家にいて、地震が来る2時間ほど前までピグ釣りのイベントに参加し、その後はプラモデルを作っていました。

 

9日に大きめの地震があり、その後余震と思われる地震も数回あったのですが、これが震災の前触れだとはつゆ知らず。

 

地震が来た時、とりあえず石油ファンヒーターを消してTVをつけて様子を見ていたのですが、だんだん揺れが大きくなってきたので、台所にある食器棚を抑えに行ったのですが、既に扉が開いて、中の食器が一部落ちて割れていました。

 

食器棚は転倒防止用突っ張り棒で抑えていたのですが、大きな揺れで外れて役に立たなくなり、扉が観音開き式でこれ以上被害が大きくなると逃げ場がなくなる(食器棚の前に玄関がある)ので、食器棚と隣の棚を抑えつつTVを見ていたのですが、「ブツン」という音とともにTVの電源が切れ停電。

 

仕方ないので、そのまま揺れが収まるまで食器棚を抑えていましたが、揺れはずいぶん長く続いていたように思います(5分ぐらいに感じました)。

 

揺れが収まってからすぐに旦那さんのケータイや実家に電話してみたのですが、案の定つながりませんでした。

 

揺れが収まった後、玄関から外へ。

 

たまたま2部屋隣の学生も出てきており、お互いの無事を確認して、何気なく西の方を見たら、近所のマンションから火の手が。

 

消防に通報することが出来ないなぁと思っていたら、近所の交番から警察官が見回りに来ており、火災を発見すると電話していました。

 

しばらくすると消防車が来たのでホッとしましたが、現場は数ヶ月の間、直されることなくそのままになっていました。

 

旦那さんが夕方無事に帰ってきたので、家の中を改めて確認しましたが、家財道具はあちこち散乱しており、片付けようにも余震が次々来るので何もしない方が良いということになり、押し入れから掛け布団と毛布を引っ張りだして、自家用車で車中泊することにしました。

 

その後、カーラジオで状況を聴いていたのですが、疲れていたこともあり、余震が起きる中ウトウトしていたら、私のケータイが鳴りました。

 

出てみると、埼玉に住んでいる伯父(母の兄)からでした。

 

「お前の実家に電話したけどつながらないし、ダメ元でかけてみたらつながってよかった」と言われて、私もホッとしたのですが、実家にはこちらからもつながらなので、伯父に実家に電話がつながったら無事だと伝えて欲しいとお願いして電話を切り、その後寝ました。

 

周りが停電していたので、星空がきれいだったのを今でも思い出します。

 

それからもう5年。

 

あっという間の5年でした。

 

先日も被害が甚大だった沿岸の町に行ってみましたが、私が住んでいる仙台とは違い、復興もまだまだ。

 

時間が経つにつれて、震災の記憶も人々の中から消えようとしていますが、実際に体験したもののひとりとして、忘れずにいたいと思います。