久々に

クーラー止めて居られるありがたさ。





昨日は

だんなサマ父の3回忌法要。


本当に内輪だけでシンプルに。




とはいえ


猛暑の中

久々に嫁モードでもあったりして


でも
その時は全然なんでもないし

本当に好きにさせてくださるので
感謝しかないのだけど



やっぱ それなりに

いつもとは違うっていうのもあるのか





今日は 

ぷつっと

まるまる一日休んでおりました。




なにをどうしても

眠れる眠れる。






ここのとこ

自分でも信じられないぐらい

動けていて




なんでーーー?????

と思っていたので




ちょっと ホッとした気分もあり。



ちゃんと

また


お休みできるような

予定になってたりね。 不思議。





人生として

もう

本当に折り返し過ぎたなぁ、と

頭じゃなくて

肚で感じてたりするので

「老い」の 第一関門を
本気で受け入れた、というか。
変に抗うのはやめた、ということかな。



だからって

それなりでいる努力をやめるとか
そういう意味ではなくてね。

過激にはならない程度に

かえって以前よりも だから
余計に意識するようにはなってきてます
もちろん。




タイトルのはなし。


冬に使うことばなのでしょうけど。


夏に使う類語を知らないので。



気候もそうだけど

人生も

そして

体調とかも




本当に波があるよね。




折り返し だから


デクレッシェンド記号>状態なわけだけど



それも 決して

直線的ではなくって。




たとえば


最近


本当に


「死」 という事が

日常の延長線上で

当たり前だ、という感じに

向き合わざるを得ない感じになってきてる。



タブーじゃなくなってきて


赤ちゃんが生まれる事と

おなじなんだよな、と

体感として 

それが『自然』という事だと

どんどん 
肚で感じられるようになってきてて。






3年前の

父の看取りのときに




本当に

三寒四温のようだ、と 思えて。





決して 直線ではないし

理屈ではない。



お医者様の知識の蓄積からの
理屈ももちろん大切な指針ではあるし
なきゃ困るものではあるけど

それだけでは
説明のつかないことが


お産もそうだけど


一人一人が
本当に違うし


だから


本当に


尊いし


本当に

ひとこととか

一括りになど


本当に簡単に言葉にしてなんか

言えない




余計に


そう思った。





対して

矛盾ながら



すごく

乱暴に言えば



いくら調べ尽くす術や
ずば抜けた
天文学的頭脳があったとしても



所詮は

一人の

みえてる部分




そこからの視点でしか過ぎなくて。






それを


それが 全てだ



反対側を否定排除しつつ

声高に 言ってるような発言に出会うと





その度に





すごい


とは



もちろん


思いますが。

思いますけど。

、、、って


なにかいてんだか。





7月ですね。



もう

なんだか


8月ど真ん中みたいな体感。