質のあれこれはさておき

物が溢れている。




いわゆる観光地
田舎と都会の文化の狭間みたいなところに
住んでいて


ちょっと公共のコミュニティに入ると

その土地の『慣習』に否が応でも触れる。


これも
『自分』なんだな、とおもいつつ。



ちょっとしたご縁から
最近
隔週でとあるコミュニティに参加しはじめ。


以前長年住んでいた地域なので
そういう慣習に触れるのも
懐かしかったりもするのですが。



毎回
そこの皆の人数分
何かしらの食べ物を持ってきて配ってくださる方。


そういう事が好きなのか
わざわざたくさん購入されてしまうのか
はてまたその方も大量に頂いたりして困っているのか、そこは話してはくださらないのだけど



食べ物も
だんだん
それぞれの事情が細やかにあって
とてもセンシティブなもので
他の人に差し上げたいならば
ひとこと訊ねてから、というのが
このご時世


未だ数十年前と変わらぬ感覚のまま

食べ物ならば
もらって困るひとはいないだろう、と。

『よかれとおもって』 という事象。


この人数分を
毎回、かなりの労力で
手をかけて準備をされてこられて。




でも


なんだろう


人の顔も まだ お互いに覚えていない間柄




正直に言って

そこに込もっている思いも

そのぐらいの質量に感じられる。


年齢も重ねられていらっしゃるから

それは仕方のないことで



かといって

本音を言えば

突然に予告も無く
今日に限っては
あまりに大量過ぎて
みんな困らないのかな? と



断りたいきもちも
微かに過ったり。



ただ

明らかに

かなりの時間と労力をかけて
準備をされたであろう事も
とても判るので




かつて

自分も

きっと もしかすると
こんな一方的なエネルギーを他の人に向けて
『よかれとおもって』 出してしまってたことがあったのかもしれない、と。

たぶん、子育てしながら、仕事しながら
いろんな物差しに真っ向から立ち向かい
只々必死に日々の日常をがむしゃらにこなしながら過ごしていた頃とか、、、



巡り巡って

いまここに。



せっかく
たちあがったばかりの
場の雰囲気も
壊したくないという




なので

だまって 

感謝と 
もしかの過去への償いと共に



今日も
いただく。