私が高3の時に旅立って。







いま その時の母の歳と同じになった。









世の中には


母親に憎しみを持つ人も多いと感じる。








私に関して言えば
それが全く無い。





その点においては
本当に恵まれて居たんだと思う。






その母は


今思い起こしても

とにかく 
私のことをまるごと受け容れてくれた。


本当にありがたいことに
一人の人間として
心も身体も
まるごと
尊重してもらった。



言い方を変えれば
『愛ある放任』という感じでもありましたが。




ただし

自身のことは
存在として
ほぼほぼ全否定していたと思われる。

女性である、ということを
忌み嫌う、という感じそのものだった。



そして


それは

もしかして
母からしたら不本意な事かもしれないが

残念ながら
それほどに愛され育ったはずの私にも
どっぷりと受け継がれ
自分というものに生まれてしまった事を呪い
何度もこの世から去ろうかという思いにまで発展するほど私を苦しめた。




『存在していていいのか』



この思いがなんなのか

本当にわからず



私は 感じるまま
素直に

自分がいけないんだ と

只々ずっとずっと
自分のことを責め続けてきた。







とあるきっかけから



それは

自分や母以前に

そのまた母の母の母、、、と 

ずっとずっと

脈々と 受け継がれてきた

負の感情のようなものなのかもしれない、



わたしどころか

誰が悪い、とか ないんだ。


まして


わたしの所為なんかじゃない!



と 思うことができて。





本当に 
つきものがおちたように

楽になった。




とはいえ
すっかり無くなったわけではなくて
半世紀もそんな思いのクセ抱えてきたのですから
ふとした時にまだふっと湧いてくるのは変わらない。
ただ、「あぁ、またきたね」って客観視ができるようになった、ということ。
この視点を得たという事が、只々今も本当にありがたい、と思う。




母はそうやって
自身の存在を否定しながら
その反動も相まって


それこそ
文字通り

いのちがけ で

守り育ててくれたんだと感じる。






その頃の延長で




思うがままに

生きていいよ、って




たぶん

本当は

母が 
こんなふうに生きてみたかったのかな

って 思うような人生を

おかげさまで いま

歩ませていただいてるのかもしれない。







母は いまもずっと
わたしの中に
いっしょに 生きていると感じる。

春分の日に。