なんか

しらんけど






いっつも

悔しかった。







ずっと。









いっつも


あたしが 一番小さくて。




そんでもって

早生まれのわたしは


小学校という集団生活になったら


また 

いつも やることなすこと 遅くて



きがつけば いつも

みんなに 取り残されそうになってて





ほかにもほかにも

とんでもなく いろんなことがあって


悲しくて
悔しくて




泣きながら 親にうったえても

親は 話はきいてくれるけど

それ以上は なにもしてくれなかった。


いまのわたしが
自分の子供から同じような話を聞いたら
怒髪天で相手に抗議しに行くでしょう、的なあれこれ。
でも親は「大人のいろんな事情」で
悔しさを噛み締めながら
そうしたくても出来なかったんだ、と 
今なら容易く理解できております。






だから

いつも


ひっしで


おいていかれないように


どうしたら

はやくできるのか


どうしたら


みんなと同じになれるのか



どうしたら

そんな嫌な目に合わなくて済むようになるのか







とにかくとにかくとにかく


本当に

周りを観察しまくって

これだ、と思ったら真似をして


そんなことばかり 

くりかえしくりかえし


いつもいつもいつも

考えて考えて考えぬいてたことを




いま


ふと


思い出した。






おかげさまで


きがつけば


器用貧乏 ってヤツになっておりました。




どんな無茶振りされても

大抵のことは

なんとかできちゃう、っていうね。




その代わり




特別に 秀でているとこもなく


さらには

なにか余計に特別にがんばろうとすると





自分自身で
強烈なダメ出しと萎縮を生み出して

ビビって 変な力みが生じて

かえって

とても不自然になってしまう、というね。











なんとも
愉快で不愉快で痛快な設定で
今日も 生かされております。