ひろゆきさんの切り抜き。
ありがたく。
『正義』 というものの
偏った暴力性。
これだけ 溢れた情報
『正義』は もはや
人の数だけ っていうのを
ネットをみてない
おじさんたち おばさんたち でも
さすがに
テレビでもじわじわ
伝え始めてるだろうから
いいかげん
『じぶんが 行き過ぎてました。
ごめんなさい。』
と
言う人がいらしたら
どんなに素敵だろうか、とおもう。
てか
自分が正しい!!! と思ってる時点で
もう既に偏りメーター振り切ってる訳で。
でどころが
不安、心配、からの恐怖。
全部自分の過去の記憶に対しての執着。固執。
ほんと ウンザリ。
すなおに 〇〇がこわいよ!嫌だよ!!って言えばいいんだよ。
じぶんの恐怖を暴力にすり替えるな!!!!!
我が身を振り返り
立ち止まり
ときには
『ごめんなさい。』 と伝える
って
まずは大人から練習ですね。
やんわりと。
『自分は悪くない!』
『自分が正しい!』 に執着してる大人の
なんと多いこと。
ほんの些細なことでも
『自分が悪い』と認めることが
即、【自己否定】につながっちゃって
そこ切り離せなくて
イコール 生きていけない になっちゃうひとも
いる、ってことは なんとなく 感じてるよ。
自分も そんな時期
あった記憶もあるし。
なんか
失敗も本当に許されなかったし
そんな時代だったんだよね。
でも
逆に わたしは
一方的に
言い切られて
ざっくりと傷ついたことの方が
圧倒的に多かったけど。
って、みんなが きっと
それぞれに そうおもってるんだろうな、とは思う。
決して自分だけが特別とはおもってない。
そういう方々も
めっちゃ傷ついて挙句
そうなっちゃってるのも感づいてるし
だから
なんも言えない、ってのもあるし。
だけど
やっぱ
怒りは
違う出力の仕方を
学習していただきたい、 と
心から おもう。
ひとにぶつけるのは
ものにぶつけるのも
不機嫌な態度に表すのも
もう やめてくれ、ホントに。
あんま
敏感な
ちいさいひとたちを
ビビらせんな。
もう いい加減。 ほんとに。
そして
わたしも
行き過ぎてたら
ごめんなさい。