『あたりまえ』は わがまま?! | こんなかんじで。♫オトノハであそぶひと♫ひーちゃんのブログ




    今日は
    旦那実家の両親を担当してくださってるケアマネさんと一緒に実家へ。

    じいじ(父)91歳
    ばあば(母)90歳

    お互い病氣は抱えつつも
    仲良く
    月一の訪問診療と毎週訪問で看護師さんにきてもらいつつ
    じいじだけは要支援の認定もらいつつ
    なんとか日常生活を送ってくださってます。


    ばあばに至っては
    「マイナス20歳でも全然通用するよ」と
    訪問の先生が
    こんど、なにかの講演会で
    担当の高齢者夫婦のお手本、的な感じにしたい?とかなにやら二人の写真を撮って行った、との事。
    びっくりやらありがたいやら。


    父も母も何度か危ないことあったけど
    その度に奇跡的に乗り越えてくれて。

    あ、私の実家の父もそうだった。


    本当に ただただ有り難い、に尽きます。


    きっと 
    わたし
    子供の頃から
    ずっとずっと
    けっこーいわゆる壮絶っぽい家庭環境で

    そこ ふつーに 乗り越えてきてたから

    いま こういう風に過ごせていること、って
    神様からのプレゼントなのかな、って勝手に思っています。


    で、今日は

    ばぁばが げんきすぎるあまり
    じいじの寄りかかり方が増してきて
    ばぁばの体調に少し負荷がかかってきてるので
    徐々ににその意識を持ってもらおう、と
    ケアマネさんと嫁(私)の二人掛かりで、
    やんわりとじいじにつたえてみましょうか、
    ということで。


    近頃 じいじは入浴が段々負担になってきたみたいで
    その度ばぁばの手を借りながら
    寝る前に週に数回なんとか入浴していて
    入浴介助やデイの提案をやんわりと伝えるも
    これまでの日常習慣を変えるのが嫌で
    昼間の入浴を頑として拒んでいたので
    そんなこともあり。



    ばぁばは 本当に

    不平不満、愚痴、弱音

    いっさい吐かないひとで。


    近所、親戚、関係者の誰からも
    褒められこそすれ
    悪くいうひとは一人もいない。

    そんなばぁばと話好きのじいじの人柄のおかげで
    いまだに、日常 ウチにはご近所の方々が入れ替わり立ち代わり
    様子をみがてら、集ってくださるのです。
    本当にありがたいです。


    本当に
    わたし、あちこちで良くいってるんですが

    ウチのばぁばって
    宮沢賢治の
    「雨ニモマケズ」のようなひと。
    『デクノボー』のところだけは さすがにちょっとちがうけど。

    で、じいじがどんなわがままいっても

    「はいはい」(´ー`)って 全部受け入れて
    やってしまう。


    ダンナも

    「おふくろの負担なんとかして減らしたい」とは
    常々言っていて。


    本当は、
    わたしが嫁として
    同居とかして、その辺の面倒を助ければいいじゃない、という実家周辺の方々の共通の意識がまだ根強くあるのも事実なのですが

    数年前に
    わたしの実家の父が倒れて
    一か月半ヘルプに行って

    実の父親の面倒でさえ
    たった一か月半みただけで
    わたし精神的に壊れる寸前まで追い込まれたので

    これだけ
    精神的距離感のある
    旦那実家の両親と、
    今から介護のためだけに同居する、ってことは
    それこそ精神的に難しい、と。

    そのかわり 
    なにかあれば
    なにをさておいても
    すっとんでいくし
    ややこしい手続きだの他の面倒くさい事なら
    よろこんでやります、
    それ(同居)以外
    わたしにできる事ならば
    ホントになんでもやる、ってスタンスでいます。


    実際、そう決めて、
    そういう事にしたら
    すごくうまく回りだして。



    そんなわたしの素振りを
    ばぁばもなんとなく察してくださってて。


    ただ、じいじは
    やっぱり
    昔からのローカルルールが捨てきれない、って、ものすごく伝わってきてて。
    じいじには、本当申し訳ないな…っていつも思っています。

    わたしが
    もっと頑丈な作り(笑)の嫁だったならば
    本当にいますぐにでも願いを叶えてあげたい、とおもいます。

    事実、ずっとその件(いつかは同居)で
    ひとり悩んでいた事もありました。

    でも、
    それこそ
    そんな風には生まれついてないし
    いろいろ想像しても
    短期間ならともかく

    長期にわたって 
    日常生活を一緒に送る、というのは
    どう考えても難しいです、と。


    なので、

    「ばぁばは、なんでもだまってやってくれてるけど
    どんなにしんどくてもただただ口に出さないだけなんですよ」


    ということを
    いかにやんわりと徐々に伝えていくか、と
    ケアマネさんとまず、少しずつ伝えていきましょう、という事で。


    で、いろいろ笑い話に交ぜながら
    試みました。


    いろいろな笑い話の中で

    「ばぁばは思ってても口に出さないだけ」ってことを伝えたら


    「若い頃、ひどいことを言って
    言い過ぎたな…っておもってお勝手に行くと
    決まって、鼻歌を歌いながら仕度をしている…」

    って、前々からよく出てくる
    じいじの話なのですが

    それに対して

    「いやぁ、それ、ばぁばだから鼻歌で済んでるんですよ、わたしだったら実家へ帰ってますから!笑」

    こんな感じで、笑いに包みながら。


    で、

    「ばぁばはやさしいから言わないだけなんです!
    このままいわないからってずっと寄りかかりっぱなしでずっと負担かけてばぁばたおれたらいやですよね?

    「それはこまる」
    「ですよね!

    「ばぁば、昔から なにもいわなかっただけで、これまで日常ばぁばがやってきたことって世間から見たらもう、あたりまえの域をはるかに超えてるんですよ?!

    ケアマネさん、うなずく。

    「これって、もう あたりまえじゃないんです。わたしだって〇〇さん(ダンナ)がいろいろしてくれたらありがとう、って言います。あたりまえじゃないとおもって本当にありがたいからです!」

    ケアマネさんも
    「わたしだって家でそういう時はありがとう、って言いますよ」


    じいじ、あたまをかかえつつ

    意を決したように
    わたしを真っ直ぐに見て
    一縷の望みを託すような感じで


    「あたりまえ、は わがままなのか?」

    と 言ってきたので

    ものすごく 
    ある意味、酷なことかもしれないとおもいつつ

    「はい。」

    と じいじの目をまっすぐに見て 伝えました。







    なんか、

    わたし

    このひとことを 
    じいじに伝えるために

    この家にお嫁に来たのかな…って思ったぐらい

    決定的なひとことだったかな、と おもいます。





    じいじ、ごめんね。

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