もとをたどれば… | こんなかんじで。♫オトノハであそぶひと♫ひーちゃんのブログ

    自戒を込めたはなし。


    ばななせんせい
    2/6のメルマガより。

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    悲しみというのは受け入れてもらえなかったときに生まれたものです。


    そしてその裏にある怒りをみたくないときに出るものです。


    悲しみがある、ということは
    わかって欲しくって怒っているのです。

    第1052号 悲しませたくないという言葉から
    「小学校3、4年生の貴方が本質」「お母さんが小学校3、4年生の自分のままでお母さんをやっていいんです」「お母さんのすることがきょういく」「おかあさんになっただけで素晴らしい」とお母さんの応援団であるよかよか学院校長「ばなな」によるメルマガ。お母さんはもとより自分らしくあり隊という方へエール、メッセージ集です。またよかよか学院のイベントなどについても紹介しています。
    archives.mag2.com

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    これを読んで おもったことを
    わたしの独自の視点から 書きます。



    感情って
    おてんきといっしょだから
    わいちゃうものだとおもっていて。
    こころもからだも自然の一部だから。
    それが放出されたいがために
    いろんな出来事がおこるんだとおもっていて。



    それって
    その時に
    全身全霊で 感じ切らないと
    すすみたいに 細胞の中にのこっちゃってて


    それで そのすすみたいなものは

    出されないために
    いつまでもいつまでも
    頭で考えてることとは別に
    たまっていて

    怒りのエネルギーとして。



    良い人と言われる人ほど

    その場のことをかんがえて
    その場を大切にするあまり

    じぶんの違和感を
    感じないように
    なかったことにしてきていて。


    でも

    そこで
    ほんとは感じられたはずの

    ちいさなちいさな 違和感は


    感じ切ることができなかったために
    出されることなく

    確実に

    怒りのエネルギーとして
    蓄積されていて。


    善良な(とよばれる)人々の中に

    良い人(じぶんよりまず他者のことを慮るような方々)であればあるほど


    確実に蓄積されていて


    無意識、という領域の中に。




    そして、それは


    正義

    という 概念の元に

    放出されている、


    って


    自分自身を

    ずっと 観察してきて

    おもったこと。




    こわいです。


    正義って。


    本当に。


    もう、このある種
    武器みたいな概念。







    何が正解か、なんて



    突き詰めてかんがえたら



    自分自身でしかないとおもう。



    攻撃のエネルギーは

    他人に向けているようで



    結局は


    自分に向かってる、ってこと。


    そして、じぶんに向けている、って思ってる攻撃のエネルギーって
    結局、他人に向かってる。


    って、


    こんなこと書いてるわたしも


    こんなこと書いてしまうあたり





    相当な


    怒りエネルギー

    ためこんでる、ってことですね。



    書いてみて


    さらに

    自覚しました。


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