今日は 母の命日。

何年前になるのかな。




高3のいまごろだったから
かるく 30年以上前。(爆笑)





身体も精神も 本当に繊細過ぎて

一年の大半は寝床にいて

だけど 
学校から帰ると 
いつも変わらずにそこに居てくれて

「おかえりなさい」と 言ってくれる。

どれだけの安堵感を
いつも与えてくれていたのか
いまになって あらためてわかる


その ありがたさ。




まさに
『そこにいてくれるだけでいい』の
見本のような 母。





母であり ともだちであり
時に 姉妹のようでもあり


なにをしても
なにを言っても

なんでも うけいれて みまもってくれている





わたしは  母が 大好きでした。





✳︎✳︎✳︎



そんな 母が

最初で最後
こころの奥から
怒って 声を荒げたことがあって。



わたしが 将来の進路について
なにげなく くちにしたときのこと。


消去法から(笑)はやばやと
電子オルガンでの進路をさがして
当時は 学べるところが
大学なら岡山
専門学校で 東京 しかなくて

そんなはなしをつぶやいたところ



「女の子が 親元離れてひとりでそんな遠いところへ行くなんて そんなのダメです!絶対にゆるしません!!」


と、うまれてはじめてぐらいに
母の怒りながらの反対に


反対されたことよりも

なぜ、母がそんなに血相変えてそこまで反対するのか、そっちの方に驚いてしまって。



以来 東京に行く話は一切せず
でも 音楽は続けさせてほしい、と
進学できるかどうかもわからないのに
副科のピアノとソルフェージュも習わせてもらってたのですが。



で、母も入退院繰り返しながら
いよいよ 重篤な状態になってきて
私は高校を休学して 
自宅で母に寄り添うことに決めて。


それから あっという間だったのですが。





あとから いくらでも 解釈はつけられるのですが

いま おもう わたしの妄想(笑)は




上京してからの
わたしの いろいろが
もしかして みえていたのかなぁ…なんて。(笑)



それだったら


わたしも

母の立場だったら




全力で 猛反対しますわ。(≧∇≦)(大爆笑)





いろいろ ホントにいろいろあったけど

この世に
ほんとに命懸けで産んでくれて

おかあさん


ありがとう。

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