「どうして?」

「なぜ?あんなことしてるの?」


「おかしい」


「変!」











そういうことを


思ったままに

すぐに


とっさに




口にできる   みんなが







ものすごく



うらやましかった…。










その無邪気さが……









だから



ものすごく




腹も 立った。









気がつけば



ものごころついたら






それぞれの  立場や 事情が





ほぼ   その 瞬間に


みえてしまう


わたしでした。









幼い頃からの  



自分を まもるため





相手を まもるため








必死に


必死で





幼いながらに






身につけた




術 だったのでしょう。








おかげで  






助かった 面も 多々 あるし




うらやましがられることも


いくつかは



あったかも  しれない。







けど





いつも





腹を 立てていた。





「知りもしないくせに!!!!!」










さまざまな方々が




さまざまなところで





いろんな形で  みせつける






その






「無邪気さ」に。




しかも




子どもなら  まだしも




いい 歳をした



いい肩書きの




そんな 方々 までもが…





(だから  オヤジ  が  一番 苦手)








「あのね、




ひとには 



そのひとにしか わからない





ホントに




そのひとにしか わからない





いろんな 理由や 事情が あるの






そして





その





悪気のない






無邪気な ひとこと でも





グサっ てくるひとは





"かならず"       いるの。









だから




言っちゃだめ、って いうんじゃなくて。






でも



傷つくのも




その方の   事情なんだよね。





だから




ひとそれぞれ




知らないことは 





あたりまえ に  あって







自分は   なんにも  知らないんだ、




と  いうことを





謙虚に





いつも  思っていたい。





大人の ひとり として。










そんな  ことを



いま  思った。












これから



実は




一般的には




すごい 状況 なのかな。



わたしの状況。






でも  なんだか



全然  深刻さはなくって。









20数年ぶりに  

そして

これから数時間後に 対面する兄は




もう すっかり旅立ちの支度を終えているそうです。


統合失調症で 
生活保護うけながら
入退院を繰り返しておりました。







父が 倒れ

自分の面倒を 見られなくなった、と

わかった 途端


どんどん 衰弱して


精神病棟から 内科病棟へ




最後は  肺炎だったそうです。






父たちが 福祉の方々と相談して
決めた最後の形も

初めて 耳にするような形でした






受け入れることは



だれよりも





得意です。







いろんな 方々が



無邪気に




いろんな事を 言われるのも



また



想像できる






でも 





いろんな ことを 考えたら





それが  ベスト なんだよね。







また ここで  出てくる





過去の




いろんな方々の




「無邪気」な 言葉によって



積み上げられた







「罪悪感」







これすらも  でも





自分の 一部だよね。






しっかり  あじわって  




自分に 感謝する。






そして






手放す。








ひとつ  ひとつ…








おんちゃん…



最後まで




よく がんばったね








おかあさんと  いっしょに
久しぶりに
存分に
なかよくしてね


むこうで



こどもから




もっかい





やりなおしてね





おかあさんに




いっぱい




あまえてね。