こんばんは

今日 昼過ぎ まだいつもなら 睡眠中なんですが・・・




今日は朝8:00頃入眠 その後浅い眠りだった故 30分位で起きて昨日の晩御飯の残りのあさり御飯をアサリ味噌汁(インスタント)入れて熱いお湯で溶き、氷で冷やして猫まんまにして食べて、おにゃか一杯 うとうとしてたのですが、急に日差しが差し込んできて 我慢ならず 全窓カーテンを閉めてクーラーを入れ ひと眠り・・・したつもりが1~1・5時間の睡眠でした


折角クーラーが効いてて  眠れもしないのに 只、布団に横になって居るのが悔しいので みうさちゃんのケージの1回目のお掃除なんかしてたら
 
「今、下にカトッペが来てるよと部屋のノックの音 



みうさちゃんに ご飯をあげていたので・・・眠っていた訳では無いのですぐに対応できましたが・・・


「カトッペ」は40年来のお付き合いの私の唯二の親友です
もう一人の親友は人妻なので唯一と言っても良いと思います

今年の1月 カトッペから久しぶりにTELが有りました
「いや~ この年になると 良い連絡は無くなるね~ この前の連絡はYOU君からリストラ・倒産の挙句 うつ病発症だったもんな~。 今回はさ~俺の番で 大腸癌で 余命3カ月なんだよ・・・」  

と言う連絡でした 私は言葉を失い 頭の中が真っ白になるってこの事なんだな・・・なんて考えながら  何回も「ねえ 聞いてる?」と質問されましたが 喉元が詰まって もう声が出ませんでした 何か話したら そのまま う・う・う と泣いているのが解ってしまうから 声を出す事が出来なかったのです


少し落ち着いた時に「どこの病院に入院しているの? すぐ行くよ」と言うのがやっとでした

その後詳しい状況が聞きたくて 奥さんの携帯に電話しました
しかし、奥さんとも 同時期知り合ったお友達です 3人でよく遊びました(なぜか私の彼女は一緒じゃ無かったな~)

二人は愛し合い結ばれました だから 私にとって 旦那さんも奥さんも40年以上に渡る親友なんです


気付かずに奥さんに電話して 声を聴いた途端 感情が高ぶり悲しさが溢れ出しました  

旦那さんの状況を聞こうと思ったのに 言葉が出てきませんでした

電話の向こうでは「奥さんがもしもし? あれ?聞こえてる?繋がってる?」という問いに対し 「うん「」 としか言えませんでした

結局どのような状態かも聞けず今年の1月にお見舞いに行きました

本人の口から  当初の病院で余命3カ月と言われた事 そこで手術をしたが それでも 余命3カ月だと言われた事 カトッペは子供の頃からの友人に違う病院を紹介して貰い一度手術したところを含め


 「こんな手術 なんの 意味も有りません うちで最善の手術をします」といわれ 以前の病院で手術をした部位も含めもっと大々的に手術をし直した事 そして 何より リンパに転移している為 今回の手術成功しても 余命6か月 と言われた事 等々 本人から聞きました



幸い うちの娘一家と カトッペ家の長女一家が 当日来てくれたので 私は落涙する事無く話を聞け 元気付けてあげられました

両家は向こうが長男 うちは長女が同級生です

向こうはその後4人子供が生まれ5人兄弟になりましたが うちは2人目の出産に失敗し(今問題になって居る無痛分娩で失敗したのです) 子供は死産 家内は子宮破裂で子宮を全摘出しました 家内も危篤状態になりました

いえの近くの産婦人科の個人病院で出産するつもりが 個人病院故 何か有った時に対応できなかったのです 結局 緊急病院まで救急車で2時間も搬送に時間を要しました 4月29日 ゴールデンウィークの真っただ中だったからです

せめて 近くの緊急病院に搬送していれば・・・と後悔してもどうしようも有りません  



搬送先はそこの個人病院の院長(医者は1人しかいませんが)のコネクションの有る大病院 ここじゃない処に運んでいれば事態は変わっていたのかも知れませんが 当時 「医療ミス での裁判」 等と言う事は全く考えつかず のちに本当に悔しい思いをしました 緊急搬送先病院で 「お子様の出産はほぼ無理です 母体 の状況も何とも言えません まずはどちらの命を優先するか決めて下さい そして 胎児の出産を優先させても 重度の障害が残るか 手術自体の成功率も低いです」・・・といわれ

「母体の命を優先して下さい」としか言えなかった自分の無知さに その後随分 情けなく 悔しい思いをしました 28歳でそういう知識が無かった事そういう事を相談できる大人が居なかった等理由はいっぱい有ります
父も他界していましたし 親戚は遠く離れた北海道だし 私は 相談相手を持ち合わせていなかったのです




話が飛んでしまって申し訳ありません



カトッペ本人から 余命6カ月と聞かされた今年1月 それから何回か電話をしました カトッペは 5人の子供たちと思い出作りをしていたみたいです

そして何より驚いたのは 抗がん剤の後遺症に苦しみながらも次男と共に仕事を続けていたそうです(小さいながらも有限会社を切り盛りしています)


今日色々な話を聞きました



余命6カ月は乗り越えた事・途中で糖尿病を発症・悪化して 抗がん剤治療をやむなく中止しなければいけない状況になった事・副作用が酷く味覚障害や・倦怠感等が酷かった事・抹消神経痛となり 手の指も足の指も激痛が有った事(今日も手の指2本に包帯を巻いていました)・ 体中に発疹が出来ステロイドを使って直していたら 禿が治って毛がいっぱい生えて来た事 等を聞きました

確かに1月見舞いに行った時は 「ああ、6カ月持つんだろうか?」と思う程体はやせ細り 頭も薄く・・・を通り越し ツルっと剥げていたのが 今日は日焼けしてたくましくなった事(仕事が野外なもので・・・)に加えて頭に毛が沢山生えて来て チクチクするのです

私は「ちょっとおでこに塗る分で良いから入れ物渡すから今度病院行ったら 俺の文 多めに貰ってきてよ」 等など 冗談を交えながら、楽し時間を過ごす事が出来ました




最後に「あと5年はお互い頑張ろうや」・・・と言うカトッペに




「もう家は今売却しても最低1000万円~2000万円の利益が出るからそうしたら 千葉の海近くの畑付中古住宅に 2家族で住もうよ 漁業権の有る平屋の住宅を2世帯住宅にして 半農・半漁で どうせ年金なんかしれてるから 年金は米と肉 買って 一緒に暮らそうや!」・・・って約束しました




大腸癌ステージⅣ の5年生存率は8%だそうです



でも、きっと・・・
でも絶対・・・
カトッペなら この少ない確率の当たりを引き当ててくれると信じています



信じてるから カトッペ! だって40年以上も信じあって来た親友なんだから・・・ 



     ここの処 堕ちていたけれど 重病の 親友に 引っ張り上げて貰った
                  YOUでした