不登校児支援スクール ネバー・マインド 「幸福へのヒント」 | ホルコンマスターコウの虎視眈々

不登校児支援スクール ネバー・マインド 「幸福へのヒント」


こんにちは。


次は、「不登校児支援スクール ネバー・マインド」です。

サイト内の記事や書籍の紹介をします。


えー 今回は、これです。

どれがよいかと相談をして、決めて頂きました。


えっ? 誰に相談をしたのかって?

・・・ うふふ。


ええ、どうぞ (*v.v)。



幸福へのヒント


『幸福へのヒント』

「親子で直す、非行と登校拒否」p126より


親が自分の人生を立て直す

 子供の家庭内暴力や長期の登校拒否が起きるときには、家庭のなかに悪霊が入ってきていると考えて、まず間違いありません。

 しかも、小さな子供がそうなる場合は、必ず親にも原因があります。親は、「この子を何とか直したい」と一生懸命に思っていても、たいていは、子供に影響しているものと同種類のものが親にも影響していて、霊的な格闘のような状態になっているはずです。

 したがって、子供が小さい場合には、まず親のほうが「自分の人生を立て直そう」と心掛けないかぎり、問題を解決するのは無理だと思います。 (略) 対策としては、光を強くすることに専念する以外にありません。親の光が強くなってくると、子供への霊的な悪影響は弱まり、子供はどんどん直っていきます。

 そのためには、親が仏法真理を勉強するのが最も効果的です。そして、「家族全員が力を合わせて、何とかやっていこう」とすることです。

 特に大事なのは、当会が掲げている「正しき心の探究」です。心のあり方が間違っているのですから、家族全員で正しき心の探究を実践していくことが必要なのです。

〇心が傷ついていて引きこもるタイプについては、「絶対善意の人」が出てくれば心を開く。

問:子供だけではなく大人にも「引きこもり」が増えています。そういう大人を、どうすれば社会に復帰させることができるのでしょうか。また、引きこもりを事前に防ぐには、どうすればよいのでしょうか。

『月刊『リバティ』2005年9月号(no.125)~11月号(no.127)』

「大人の引きこもりについて」


・組織立った動きの苦手な人が一割以上はいる

 いま、どのくらいの率で「引きこもり」があるかは知りませんが、いつの時代も、最低でも一割以上は、組織に合わない人がいると思うのです。

・個人には自分の人生に関する“自治権”がある

 子供が家に引きこもって学校に行かないのは困るでしょうが、大人の引きこもりの場合は、他の人が介入し難いものがあります。個人には、「自分の人生をどう組み立てるか」ということに関する“自治権”があるからです。 基本的には、「だれもが同じでなくてはいけない」という考え方は間違いだと私は思います。それぞれの人に、自分の好きな生き方をする権利があるのです。

・病的に引きこもる人は何かで心が傷ついている

 非常に病的な人であって、「絵画などの芸術に打ち込む」「何かを熱心に執筆している」「瞑想などの宗教修行に打ち込む」というようなことではなく、ただただ、「人と会うのが嫌。外へ出るのが嫌」という思いで、どこかに閉じこもっている人もいます。こういう人は、身内や友人が買って差し入れてくれる弁当などを食べて生活しています。 そのなかには、明らかに悪霊に憑依されている人もいます。

 こういう人を社会に復帰させるには、どのようにすべきでしょうか。 こういう人は、基本的に、成長して大人になるまでのあいだに、何かで心が傷ついていて、その傷口がふさがっていないのです。そして、その傷口から膿が出てくるような状態なのです。

 (略) このたぐいの人を癒すには絶対的な愛が必要です。 それは、その人に対して、「絶対に悪く言わない。ネガティブ(否定的)なことを決して言わない。絶対に攻撃しない」ということです。そういう人には心を開きます。 しかし、「相手の行動によって、ほめたり怒ったりする。どちらになるか分からない」という人には、身構えてしまい、心を閉ざすのです。

 すなわち、心が傷ついていて引きこもるタイプについては、「絶対善意の人が出てくれば心を開くだろう」ということが言えます。

 このタイプに対しては、「相手の性格なり言動なりが、現象的には、どれほど悪く見えても、『これは自分自身が既成観念でかなりやられているのだ』と思い、相手のなかから、神の子、仏の子の部分を拝み出して、相手を絶対に責めない、悪く言わない、将来を悲観しない」ということが大切です。

 「この世に生まれてきただけでも、いいではないか。命があるだけでも、いいではないか。何か意味があって、こうなっているのだろう」と思い、相手を排斥しないで受け入れる人が出てくると、その人に対しては心を開くようになるのです。

cRyuho Okawa, Happy Science, IRH Press


以上です。


ええ、私にも、25年くらい引きこもりをしている兄がいますけど、

若い頃には、もう、本当に責めていましたね。

それがいつしか間違いだと気が付いて、責めなくなりました。

だって、責めれば責めるほどに、悪くなるからです。


そして、ねぇ、本人なりに、何かを学んでいるのだと悟ったときに、

とても責めることができなくなりました。


他人から見たら、無駄な25年間だったのかもしれない。

しかし、本人にしてみたら、とても大きな25年間だったのかもしれない。

ええ、時間なんて、人間が勝手に定義をしたものです。

その人の時間を、それなりに生きればよいではないか。

今は、そう思っています。


そして、私は、もっともっと学んで行きたい。

そう、思っています。


では、ありがとうございました。