震災から3年…、


個々の想いがありますが

アタシ的に言える…とゆーか、


言わせて頂けるなら只1つ






忘れないから
けど
はやく、
貴女方の貴殿方の幸せを

当たり前のように





過ごして頂きたい。







ごめんなさい。






ちゃんと出来ないし、


デモも





起きてしまうような






復興に全然支援できてなくて。









なにができる?





なにしてる?







アタシたちの力量は?







お願いしたい。







仕事して、家族養ってる    身分だけど




貯金も       許容も       ないけど、





できることおしえて。

先週木曜日、アタシの誕生日、、、

最愛の父が亡くなりました。


10年前に脳梗塞
5年前に喉頭癌

色々なかなか重い病気を患っては

復活して帰ってきてくれた、パパ…


先月19日に突然具合悪くなり、
緊急入院、

全てが急な出来事すぎたから、
かかりつけの医療センターには向かえず
近くの病院へ運ばれたのに、
そこでは病室ないとのことで
小さな病院に移された。

本人は不本意だゎ
激痛だゎで
いっぱい苦しんでた。


へぼい病院だったから
転院について親戚が力を尽くしたが、叶わず、

結果、全て手遅れで、

アタシの誕生日に逝ってしまった。



死因は『肝脂肪癌…』

多少腹水も傾向にあったが

やはり、喉からの転移だったのか…


パパが大好きなカラオケゃ楽しませるトークが出来なくなってしまった原因へのストレスか、

全てがアルコール暴飲への道に繋がってしまった。





昔からパパは、家系的に長生きできないのが、定めのような一族、だから自由に楽しく生きるがモットーではいた。


本人的にはある意味、早く逝くのは希望だったのかな?

けれどアタシゎ、
どんな無鉄砲で破天荒なパパでも愛してたから、生きていて欲しかった。


ムチャで無謀な生き方が、反面教師で愛おしかった。


ただ、生きていて欲しかった。



けれど、


6月30日
カナリヤバメノ体調不良の一報を耳にし、
それから7月11日まで、気が気でない日々を送ったし、
気持ちがおかしくなった。



生きていて欲しい。


けれど、


痛みと絶食絶飲にされ崩壊しつつあるパパの姿を見るたびに
つらくて
苦しかった。

正直、苦しませるならいっそ…
とさえ、考えた。


だからパパの心臓が止まったと聞いたときは、本気で悲しくなりもしたが、ホッともした。


『もう、苦痛や我慢しなくて本来のパパに戻れる。優しい笑顔がみれる』…


と。


それから、火葬までは目まぐるしい、日々だった。



14日


パパゎ無事天国いった。

ジンクスかもしれないが、よく、火葬した時、ノドボドケが綺麗な形なら、安心して成仏したのだと、聞いた事がある。

今はソレを信じるしかない。






パパ
愛してるよ。



いっぱい愛してくれてありがとー。

これからはまた再び、パパらしく
素敵な笑顔で
アタシを見ててね。



アタシゎ、これからも一生パパの娘だからね。


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