今日は半年ぶりの国立病院機構の診察でした。(半年に1度)廊下は人で溢れているので歩行器はやめて、杖を持って行ったが、びっくりするほど歩けない😭息子にも手を引いてもらう場面もあった。(相変わらず杖が下手すぎ)わたしの歩けなさは足が重たいのもあるけど、脳と足が連動してない感じで、止まってリセットして歩き出すことが必要な感じなのです。


いつも通り、伝えたいことは紙に書いて行った。

まず、前主治医の逮捕でクリニックが変更になったこと。「え?何これ?」という感じで驚いている。簡単に説明すると「あぁ、あれこのクリニックだったのか……」と、同じ県内の同じ神経内科医なのに把握してない💦💦おおらかで、良いにつけ悪いにつけあまり物にこだわらない先生。必要なことはしてくれるけど、名誉院長なのにオレオレ感もなく(口先だけの励ましも言わないけど)今はその感じがすごく懐かしく心地よい。こんな大きいこと知らないのはどうかと思ったけど😅早速、この先の特定疾患の書類を新しいドクターが書けるかを気にしてくれている。分からないと言うと、次回を念の為少し早めにして書類が必要なら書ける時期にしようと言ってくれる。



そして、今回は2年ぶりにMRIを撮った。自分の身体の状態から萎縮もかなり進んでいるはずと思って気が重かった。見た画像は小脳がスカスカに見えて落ち込んだが、先生は小脳の萎縮はあるけど大きく変わってないし、脳幹や大脳は年相応なので大丈夫と言う。ちょっとホッとする。息子もホッとしていた。帰って2年前の画像を見てみると、2年前もこんな感じでした(笑)

最近の目の悪さについては、私の目の動かし方を見てくれて、きちんと動いているので複視も気にしなくていいと言う。横目で見ると普通でもブレるからねと言う。視力はこの病気とは関係ないよと言われる。中止になったイーシードパールも、触って身体の動きを見てパーキンソン症状はなさそうなのでやめることに問題はないということでした。

帰りは久しぶりのCOCO'Sでした。

そしてこの所見たTVにいろいろ揺さぶられました。1つはウクライナの子供たちの番組。ロシアを憎む子供たちへ親や教育者たちの中に「憎むのは自分のためにならない」「ロシアにもいい人もいる」と説く人たちがいる。みんな子供たちの未来を考えて戦火の中精一杯やれる事をやっている。そして、Eテレの本を読み解く番組の「いのちの初夜」。ハンセン病の著者の苦悩。身体の機能だけでなく、身体の1部をだんだんとなくしていく(見た目の問題も大きい)……そして私たちのように治る術はなく進行していく。差別も加わり、どんなに絶望したろうと思う。そういう中、どのように生きていくのか考え続けている。最後は信じられないような精神科病棟のドキュメンタリー。あからさまに虐待され、人としての意見を何一つ聞いてもらえない環境。でも、行くところもなく必要悪として存在し続けている。いろんな問題があって、どうしたらいいのか難しい。多系統萎縮症の方も出ていて、友人の尽力で転院の運びとなっていましたが、そこまで行くのは並大抵ではなかったはず。


さぁ、わたしはどうしよう?

自身の状況もイマイチで、いろいろザワザワする。