今までその日を痛ましい気持ちで迎えては来た。当時のニュースのショックは今でも鮮明に覚えてる。
昨日NHKの「事件の涙」で日本人の犠牲者の親御さんたちを見た。20年たち親御さんたちも80代である。それぞれ遺骨さえ見つからない息子の死を受け止めきれず、その理不尽さに苦しんでいる。でも、そんな中でも「一体何故こんなことが起こったのか」「自分の出来ることは何なのか」を考え実践してきてる。ただ怒って悲しんでるだけではどうにもならないと。1人の方はアメリカが出版した報告書を日本語訳がない中で電子辞書片手に何年もかけて読み込んだ。本はボロボロだ。そして、その自分で訳した日本語版を本にした。とにかく何が起こったのか知りたいと……。もう1人の方は「やったことは許せない。でも相手にも事情があったのかな。それを知りたい」とビンラディンに手紙を書き、アフガニスタンに行き、圧倒的な貧困を知る。そして、こうした貧困と教育のなさがテロリストを産むのではないかと考え、アフガニスタンの子供たちに支援をしている。「それは憎いです。でも憎しみでできることはない。負の連鎖を断ち切りたい」と言いつつ、「自分の身の丈にあった出来ることをする」と話す。
私も夫の時そうだったが、亡くなった事実を目で見て肌で感じることで苦しいけど受け止められたと思う。それが叶わない中での苦しみは相当だろう。私の病気も理不尽の運命の中、必死で意味を考え出来ることを探してる点では似てる面もあるように思う。
今、アフガニスタンは本当に大変な状況だ。自分でいっぱいいっぱいの私だが、せめて知ることだけはして行かないと……。