異文化理解と心理
p8〜p109
今日は中津の公園に
どんちゃん、ことダリアと散歩
勉強も1冊終わって一安心
平日は勉強もなかなか進みませんから
休みの日は絶対にやらないといけない。
内容は少し慣れたのか
前より早く読めるようになってきました。
でも次のテキストは山場の文法に入りますから、どのくらい時間がかかるのか不安ですね。
今すでに教えていますから、わかっていると思ってとばさないように読むつもりです。
初めて読む感覚でやらないと気の抜けた勉強になりますから。
それにしてもあと6ヶ月そこそこで試験を迎えるけど、本当に受かるんだろうか?落ちたらはじで教師としての面目も失われる。
別に給料あがるわけでもなく、
試験勉強が配慮されるわけでもなく、
ただただ、
ただただ自分のためにを目標にすすむ。
勉強は絶対に人を裏切らない。
受かっても落ちても、
その人を豊かにするのは確か。
本当に
落ちたらはじだけど、
仕事もそう、
なんでもそう、
自分の価値は、自分で決めると最近、時々だけど、思うようになり、自分というものが、変わったと思う。
私の会社での評価は実は低い。
信用されてないし、
考え方においては全く理解されていない。
それでも自分が目撃した自分だけのストーリーは絶対に大切にしたいと思う。
誰かとの人間関係においては、人は私を評価しなかったとしても自分は誰よりもよくやったと思う。
人の評価を基準に、自分は何もしなかったんだと、一生懸命自分の記憶を闇にほうむり、自分の評価を自分までもが落とすことは、絶対にいけないと思う。
日本社会の鬱の原因。
どんなにやっても嫌われている上司からバカにされ、自分自身までもが自分をその上司の言うような人間と思い込む。
それは間違っている。
評価とは人がするものと
よく言いますが、
そんなことどこの誰が言ったんでしょう。
自分を本当に評価できるのは自分だけです。
昔私が自分を評価した時笑った女がいました。
こんな状況の時にこういう対応ができてこう思いました的なことを言った時でした。
自分を評価するのは間違っていると言われました。
人を笑う人間の方がよっぽど間違っていませんか?
今思い出してもムカつきますが、
私はもっと私自身を本気で評価してやるべきだと思っています。
会社の誰一人として、私が平日も土日も教科書を開いて考えていることを知りもしません。
彼らは私を批判はしても褒めはしません。
そして何もしない人たちがそうやって人を評価し、そして自分をいかに素晴らしい人間であるかと日々主張しています。
これは別に私だけのことではなく、
日本中、どの会社でも、毎日のようにおこっていること。
私だけが見ている世界が本当に存在する。
それは私という人間が存在する証です。
このストーリーは他の誰一人として完全に見ることはできない。
そして隣の誰かさんの人生も同じ。
人の人生を評価したり解釈するのは単なるおごり。
人を評価してはならない。その人の見たほんの一部しか私たちは見ることができないのに。
100分映画の1分を見て何も評価できないのと同じように、人は人を評価できない。
そう考えると、なんと言いますか、わたしの大嫌いな上司でさえ、私の人生とは全く関係のないただの人なんだなと。
やはり自分の人生を主体的に評価するのは自分でなければならないと思うのです。
私は映画が好きですが、
私の見る私という映画をもっとプロデュースして素晴らしい人生にしたいと思います。