■文教祖は妻(鶴子夫人)の妊娠中にもかかわらず、出張先で不倫しながら妻にラブレターを書き、しかも愛人を妊娠させていた。

七男(亨進)が父・文教祖の女性関係(六マリア)を認めましたが、その後、文教祖の愛人と隠し子が20億円の訴訟を起こしたことで、結局、文教祖が不倫していたことが事実だったことが明らかになったのです。

このことで文教祖も教会側も「文教祖の不倫は反対派のでっち上げであり捏造」という反論はもう通用しなくなったわけです。


文教祖は1965年1月28日「第一次世界巡回路程」に出発するために韓国を発ちます。
(主な目的は聖地決定とアイゼンハワー元大統領会談)
そのとき鶴子夫人は妊娠中で、お腹の中には仁進がいました。

<第一次世界巡回路程日程・真の子女誕生日・愛人と密通した日>
1965年1月28日 韓国出国(鶴子夫人妊娠中のため同行せず)
1965年1月28日~2月12日 日本巡回前半
1965年2月12日~7月3日 北米巡回2ヵ国(アイゼンハワー元大統領と会談)
1965年3月14日頃 愛人(崔淳花)と再会
1965年5月5日頃 愛人が文教祖の子供を妊娠

1965年7月3日~7月9日 中南米巡回5ヵ国
1965年7月9日~8月24日 ヨーロッパ巡回17ヵ国
1965年8月14日 鶴子夫人が仁進を出産(ソウル)
1965年8月24日~9月6日 中東巡回6ヵ国
1965年9月6日~9月29日 アジア巡回8ヵ国
1965年9月29日~10月10日 日本巡回後半
1965年10月10日 韓国帰国
1966年1月28日 愛人が隠し子文サムエルを出産(アメリカ)
1966年3月13日頃 鶴子夫人が興進を妊娠
1966年12月4日 鶴子夫人が興進を出産(ソウル)



上記ではわかりにくいので、文教祖がアメリカで愛人と再会し不倫していた内容だけ抜粋。

<妻が妊娠中に不倫相手と関係を持ちながら、その愛人を愛した手で妻に手紙を書ける文教祖>
1965年1月28日 文教祖韓国出国(鶴子夫人妊娠中のため同行せず)
1965年2月12日 文教祖アメリカ到着
1965年3月14日頃 愛人(崔淳花)と再会
1965年5月5日頃 愛人が文教祖の子供を妊娠
1965年7月3日 文教祖アメリカ出国 
1965年8月14日 鶴子夫人が仁進を出産(ソウル)
1965年10月10日 韓国帰国
1966年1月28日 愛人が隠し子文サムエルを出産(アメリカ)※このとき文教祖は韓国にいた


早い話こういうことだよね。
妻が妊娠したのを確認して、出張に行き、愛人と浮気して隠し子を作って、出張を言い訳に妻の出産も立ち会わず、何事もなかったように出張から帰った夫は、愛人の出産も隠して、さらにまた妻と子作りに励む。
どうせ妻が妊娠しているときは、思いっきりセ○クスできないから浮気してもいいと言う男の言い訳発動ってことですか? 文教祖様。


文教祖が1960年に鶴子夫人と「子羊の婚姻」の聖婚式をするまでは、統一教会の教義は違っていました。
文教祖が女性と実際に性的関係をして、その女性の原罪を清算させるというものでした。
そして文教祖によって原罪を清算された女性が他の男性と性的関係をもって、その男性の原罪清算をなすというもので、いわゆる文教祖からの性のリレーで原罪清算がなされるという教義だったのです。
鶴子夫人と聖婚後も関係を続けた愛人の崔淳花(淳嬅)ですが、聖婚前までは姉(淳実)と金明熙とともに処女(未婚者)の三位基台を組みながら文教祖に操を捧げた六マリアの一人でした。

しかし1960年代から教会の核心教義(性リレーで原罪清)は教会の拡大を図るため、社会的に受け入れられない血分け教義は隠蔽されるようになり、新しく入信してきた信者には、血分け教義など存在しないと捏造さえするようになっていきました。

1950年代、聖婚式の前までは文教祖と複数の女性信者との性的関係はむしろ、原罪清算儀式として頻繁に行われ、信者もそれが不倫という感覚はありませんでした。

ですから鶴子夫人と聖婚後も文教祖は崔淳花との不倫の関係を続けたのです。
鶴子夫人と結婚して出産して子供がいても、不倫関係をやめなかったと言うことを、愛人の崔淳花が証言しています。

『1964年に崔淳花がアメリカのジョージタウン大学に行くまで、韓国で文教祖と関係は続きました。崔淳花がアメリカに出発する前、文教祖と崔淳花は教会で秘密の結婚式を挙げました。そして翌年の1965年に文教祖が世界巡回に出発した先で、朴普熙が宿泊先を準備して、そこで文教祖と崔淳花は不倫の肉体関係持ちました。そして崔淳花は文教祖の子供を妊娠するのです。』

文教祖は妻(鶴子夫人)が妊娠中に不倫していたのです。
この崔淳花の証言によって信者に対しては、自分(文教祖)は不倫などしたことも無く、隠し子がいるという噂も反対派の嘘であり捏造なので、統一信者は純潔を守り、不倫をせず、貞節を守りましょうと言っていたのはなんだったんでしょうか。
文教祖は宗教家として嘘をついて良心は痛まなかったんでしょうか。

http://www.motherjones.com/politics/2013/12/reverend-moon-unification-church-washington-times-secret-son
(機会訳)
『この時代の間に、文は結婚の外でその性に説教しました 最も悪い可能な罪であった 。しかし、崔および他のインサイダーは、彼自身の結婚の長い間後に文のいちゃつきが続いたと主張します。崔は言います。ジョージタウン大学に出席するために彼女が米国に引っ越した時には、彼女はワシントン、DCに1964年まで彼と性を規則的に持ち続けていました。彼女の出発に先がけて、崔は主張、彼女、および文は、彼の教会で秘密の式典において結婚しました。次の年、文は、米国への彼の最初の旅行をし、彼の代理人、朴ポーヒーによって国家の首都の近くに数ヶ月滞在しました。旅行の間に、彼は崔と時間の多くを過ごしました。(時代からの1枚の写真が、ワシントンモニュメントの前で群がるそれらのうちの2つとPakを示します。)間もなく、崔は文の子供を運んでいました。』



(鶴子夫人と崔淳花)

(文教祖と崔淳花)


以下は、文教祖が崔淳花と不倫中に妊娠中の妻(鶴子夫人)に送った手紙の内容です。
(下記のみ言葉は成和出版社「真の愛の書簡 真のご子女様に送られた書簡」より)

『鶴子へ
アメリカのサンフランシスコまで来て・・・名勝地を見学しながら、遠くのお母様のことが思われます。』

(1965年2月15日 サンフランシスコにて)

『お母様。
(韓国を離れて)すでに一ヶ月になろうとしています。
便りが無くても気を揉まないで・・・。
やはり遠くにいれば思い出されるのは、どうしようもないことです。
そしてお体に気をつけて健康であるように願っています。妊娠中なので気をつけて、お体を大事にしてください。
天と私たちの間がどれほど貴いかを高く体験する機会と思っています。』

(1965年2月25日 ラスベガスにて)

『お母様。
得三氏、貞玉氏、京埈と貞恵、昌淑などにもよろしく伝えてください。
得三氏にはまだワシントンに到着しておらず、淳華の便りは伝えられないと。
手紙は書かないと言って来たものの、もしかしたら期待しているのではと思うと、心もとなく感じて慌しくしたためています。』

(1965年3月6日 ウエリントンにて)

ここで文教祖は崔淳花(淳華=本名は淳嬅)の母親である李得三に娘の安否を伝えてくれと鶴子夫人に頼んでいることがわかります。
この母親の李得三も六マリアです。母親も六マリア、娘も六マリアです。

『お母様と共に来ることができなかったことをとても申し訳なく思いました。
私たちは、もう少しみ旨の前に孝を尽くす者として、多くの人の前でお手本になることを決心する良い時間となるよう祈祷するのみです。
淳華にも会ったと得三氏に伝えてください。元気だと。』

(1965年3月14日 ワシントンにて)

崔淳花(淳華)に再会した文教祖は、この日(3月14日)から再び不倫の関係がはじまります。
しかし、もともと統一教会の教義自体が文教祖のハーレムを作ることで、草創期の韓国の幹部だけでなく古参信者もみんなそのことを了承ずみで、もちろん日本の古参幹部も知っていることなのです。
(草創期はいかに自分の妻や恋人を文教祖に捧げられるかが、真の信仰者としての基準でした)
世界巡回に同行した崔元福先生も聖婚後も不倫の関係でしたが、これは鶴子夫人も同意してのことです。
常識や良識で説明しようとしても、乱れすぎて隠蔽するしかなかったかも知れませんが、統一教会の教義は「純潔」など嘘を末端信者に吹き込み、些細な男女の情欲に対しても罪意識を持たせ、堕落人間として反省しろと不当な高額献金を強要してきました。
本当は「純潔」とは程遠い間逆の教義であり宗教だったにもかかわらずです。

『今は(お母様が)身重なのに、とても申し訳ない気持ちです』
(1965年3月25日 アーリントンにて)

『母胎の健康に留意し、ビタミン摂取に努めてください』
(1965年4月16日 アーリントンにて)

『スンファ氏(※愛人)は元気です。
(お母様は)体に気をつけることと、あまり憂鬱にならないで、明朗な一日を・・・』

(1965年5月21日 ワシントンにて)

『すでに8月ですから、お産の月が迫って、どれだけ心配しているか思いながら、すべての面で委ねるように願います。
生まれる赤ちゃんの名前ですが、男ならば「興」、女ならば「仁」字とすればいいでしょう』

(1965年8月4日 ドイツにて)


純潔や不倫を否定している教祖自体が、妻が妊娠中に浮気していましたとさ。

ふざけんな~!!!!!

文教祖の言い訳のみ言葉。

『帝国調査室で‘レバレンド・ムーンは色魔(女たらし)で、女が好きだから色仕掛けを使えば間違いなく付いて来る。’それで女を送ったところで通じないです。お母様がそれが分かるから私を信じます。』
(六千年歴史大解怨式 2002年4月4日)

日本統治時代から文教祖は「色魔」と言われていたようですね。
そしてCIAでも

『CIAが文総裁は色魔(女たらし)だと噂が立ったので、三度も色仕掛けで引っ掛けようとしたのです』
(「文鮮明先生み言葉選集」375巻より)

『どれだけ私が迫害をたくさん受けましたか? 文先生は妾(愛人)が世界に7百人がいると(笑い)息子(隠し子)が何百人なのか分からないと言いながら(反対派は)反対したのです。妾がどこにいますか?』
(「文鮮明先生み言葉選集」402巻より)

『そのようなうわさが立ちました。妾が百二十人いて、息子が七十二人にもなるといううわさが立ったのです。とんでもないことです。』
(第四十七回「真の父母の日」記念礼拝 2006年3月29日 天宙清平修錬苑)

文教祖は妾と隠し子は絶対にいないと言っていたのが嘘だとばれましたね。

『統一教会は節操を守ること、また男女問題をきちんとすることが徹底しています。ところで、その中で一番悪いのが私だというのです。真の父母は息子・娘が多いのです。それなのに何で妾が多くて、その息子・娘も多いというのですか。そんな息子・娘などは影も形もないのです。』
(第27回「神の日」記念礼拝 1994年1月1日 ソウル・国際研修院)

影も形もないはずの妾や隠し子が訴訟をどうやって起こすんでしょうね~。
不思議ですね~。
存在を否定された朴サムエル氏はどうなるんですか???

『皆さん、家の中に十人の人が暮らしていれば、その核になり得る人はだれですか? (「父母です」)。自信がないですね。(「父母です!」)。浮気して、離婚し、泥棒する父母が、どうして核になるのですか? 』
(家庭完成の核 1999年7月4日 ベルベディア)

そうそう浮気した父母は、人類の核になれませんね。

『一番悩まされることが何かといえば、祝福を受けた後、浮気して、また結婚して子供を持ったことをどうするかということです。そのような法はないのです。そのような種を見たくありません。そのように恐ろしいことなのです。』
(成約時代安着と家庭完成時代 1994年5月22日 ソウル本部教会)
 
はい、それを文教祖が率先して行っていますので、文教祖は神様が一番見たくない人物と言うことになりますが・・・・。

『浮気をするということは、原理の根本をすべて否定することです。』
(真の愛の主人に侍ろう 1999年6月13日 韓国・本部教会)

誰に言っているんでしょうね。自分に?

『それゆえに、絶対性です。それを守らなければなりません。分かりますか? (はい) 今からは、浮気してはならないのであり、たばこを吸ったり、酒を飲んだりすれば、舌を抜いてしまわなければなりません。もし浮気をすれば、その器官をセメントで埋めて、切ってしまわなければなりません。先生は、そのような法を立ててでも整備することを考えています。』
(環太平洋摂理圏の時代 2008年2月13日 天正宮)

舌を抜かれるのは文教祖ってことですか?

『統一教会で浮気をして男女問題があれば1箇所に連れていって、ガソリンを掛けて燃やしてしまうでしょう。そのような時が来るのです。私が、そのような指示をしていないからこのようにしているのです。』
(「罪と蕩減復帰」より)

ガソリンで燃やされるのは、本人だから、指示できないんですね。なるほど。

『夫の迫害で髪は刈られ、裸同然で先生の所に逃げてくるのです。その時、塀を乗り越えようとして滑り落ちたところを村の女性たちが見ていたのです。すると、なぜそのような姿でここにいるのか、となるのです。統一教会の文先生は、浮気をしている、となるのです。それで悪口を言われるようになったのです。そして世界的に私が悪口を言われるようになったのです。』
(第27回「神の日」記念礼拝 1994年1月1日 ソウル・国際研修院)

ほんとうは女性信者とセ○クスしまくってました、って言えませんよね。
警察に捕まるから・・・。

『お父様は浮気しようと、考えませんでした。』
(来るべき時に備えよ 1999年2月1日 韓国)

だから説得力ないってば。





(朴サムエル出生証明書)


(朴サムエルを妊娠した日=5月5日頃)
 04月 21日(最終月経開始日に14日プラスした日が排卵日と計算)
-03 +07  ※排卵日=5月5日
……………………
 01月 28日

(文興進を妊娠した日=3月13日頃)
 02月 27日(最終月経開始日に14日プラスした日が排卵日と計算)
+09 +07  ※排卵日=3月13日
……………………
 11月 34日 → 12月4日


(参考)
『出産予定日のカンタンな計算方法出産予定日は、最終月経の開始日をもとに決めるのが一般的。
・何月かは、最終月経の月の数から「-3」する(引けない場合は「+9」)。
・日にちは、最終月経の日にちに「+7」する。 (280日が妊娠期間)』
(妊娠期間、十月十日・とつきとおかの数え方 - [妊娠・出産準備] All Aboutより) 
http://allabout.co.jp/gm/gc/224113/


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