10月27日
起きたら今日も同じ朝でとっても天気が良かった
【シーク〜久々に天気いいよ!向き変えてあげるね】
とゆっくり数センチずつ動かして空を見える様にしてあげた
気持ちよく寝てる
27日の10時
いつものようにご飯食べて煩いシークに足の臭い嗅がせて笑ったりしてた
シークもご機嫌だったけどたまに痛いと泣いてたので気になった
後ろ足を触ったら2本がポカポカに熱くなってた…
え。。。と思う
お昼前に少し仮眠しようねってシークも寝始めたので私も横になったらすぐ雷のような痛みが襲いました
悲鳴をあげてる
痛くて寝てられないのか座ろうとして立とうとするのだけど痛くて私の手も噛んでくる
私は慌てて介護ノートを見る
ステロイドと痛み止めを飲ませるのを忘れちゃったと思った
でも
ステロイドは5時間前に…痛み止めも3時間前だった…
もうそれを確認したらやる事は無くてただただ怖くなった
急にこの激しい痛がり方はなんだろう
折れちゃったのか、、、、
第二波が来たなと確信した
病気にムカついて涙が止まらなく
腹が立って腹が立って怒りになっていた
シーク、シーク、大丈夫だからって叫ぶ事しか出来ない
のたうち回る激痛に変わっていく。。。
ステロイドを飲ませてくださいと先生は言ってたけどこの痛がり方でどうやって飲ませれらばいいか分からない
今までは痛くない体勢はあったのだけど今は何しても痛みが出てた
シークは声も枯れてきて少し痛みが治った時は息をするのも辛そうだった
シークの顔を見たら涙が出てる気がした
東京にいる主人にすぐに連絡して君津に戻ってきたけどどんどん痛みは強くなっていた
【もういいよね】と私は言った…
長い検査が終わって家に着いて涙が止まらず言いにくい事を私は主人に言っていた
告知された時から私はもう決めてたと思う
【シークはさ、パピーの時にあれだけの痛みと戦って最後もこんな痛みが出るなんて残酷過ぎるよ。。。シークにはもう辛い思いさせたくないよ。こんなに頑張って生きてきた子だよ。シークにもう辛い事はいらないよ】と言った
主人も【そうだね、、、俺もそう思ってた】と言った
当然だけどその決断は痛みがない今なのか痛みが出た時なのかは決めれなかった
けど、でも、痛みが出た時はシークには辛い時になる。。。
考えてるうちに日に日に元気になるシークを見てその決断する時が来るのかなと思えるほどだった
元気な時にその決断が出来るはずもなかった
いつもの朝だったのに前触れもなくその時が来るなんて思ってもみなかった
かかりつけの病院にお昼に電話したが来るのは夕方らしい
この痛みを夕方まで我慢させるの???
確か先生は5日前に痛みの対処法を聞いた時に痛みが頂点に達すると気絶の様になる子も多いですと言ってたのを思い出した
気絶でもいいからシークが痛みを取れるのを待つしかなかったがシークは痛みに強く心臓も強いと分かった
痛みの波が治ると震えながら耐えてた
次に来る痛みが怖く痛みの波がおさまってもかなり痛いんだと思う
先生から16時過ぎに行きますと電話があった時
来ないで!と早く!と複雑な気持ちだったのをはっきり覚えてる
先生が来た時はシークのお別れの時
今からこの子が死んでしまうと思ったら気が狂いそうだった
今は痛いと生きてる証拠だったから。
それも私が息を止めてしまうんだと罪悪感しかなかった
先生が静かに来て泣け叫ぶシークを見て先生は
あ。。。これは、、、可哀想に…
と小さな声で言ってた
先生は静かな声で【よろしいですか】と。
ただ、痛みがある時ではなく痛みと痛みの間の私達の声が聞こえる時にお願いした
シークが楽になるのはとても早かった
麻酔を先に入れるのだけど痛みはすーっと消えその瞬間にシークの輝いてた瞳は一瞬で濁った
シークは楽になったけど私は楽にならなかった
大切に大切に11年育てた子を自分で眠らせる
耐えられない
それは痛みを楽にとか苦しみをとってあげたとかそんな事じゃなかった
パピーの時も【安楽死】と言う言葉は先生から言われたけど私達はしなかった
最初と最後にこの言葉と戦うなんて思ってもみなかった
これは賛否両論だと思う
これを読んで不快に思う人はそのまま不快でいいと思う
きっと強い痛み止め、鎮静剤を打って痛みを取る人も多いと思う。
私は辛いシークを見てられなくてこの決断をした訳ではない
病気が分かった時点で腹を括った
病院から帰ってきてシークも腹を括った瞬間が私には分かった気がしてた
だから楽しい10日間だったと思ってる
言葉に出来ないけどシークから本当の命の意味を教えてもらえた
シークは痛くてももっと生きたかったかもしれないし
まだ私達と一緒に居たかったかもしれない
早く楽にしてって思ってたかは分からないし、それは一生私は知らないし分からない。
小さくなった骨を見てずっと私は一生考え続けるのだと思う
背骨の骨はスポンジのようにスカスカで真っ黒だった
折れてはなかったけど1週間は持たなかった骨の形をしてた
痛みをとってあげたい、シークが辛いから、これで楽になったと人が言う言葉は私は全て分かってる。全て。
私の友達がこの選択をしたら心からそう思うから言ってあげると思うから
でも自分の子にその選択をした後は許されない事をしてしまったのかとしか思えない
心中はそんな綺麗事ではなかった
私はこの事を正当化は絶対にしないし出来ない
なんでシークがこんな病気になったんだろうとは思ってもなんでシーク死んじゃったんだろうとは思う事はないと思ってる
私が眠らせてしまったから
シークに最後言った言葉は
ありがとうね、楽しかったね
病気と私の事を一生恨らんでいいよ
って言った
私が泣くのはシークの元気な姿でもなく笑った顔でもなく告知を受けた時、、、私が決断した時の事しか浮かばない
何を選択しても後悔はあるのだけど最悪の選択をしたのは自分だと責める方が日々の生活は楽になってた。
誰も私を責めてくれないから。
来年はシークと一緒に居たいからイベント減らすなんて言わなきゃよかった
26日に明日からの介護どうするかシフトなんて話し合わなきゃなかった
ただ、イベントキャンセル11月だけしてた私。
12月は居ないのが分かってた
病気を諦めてしまってたのは私だったんだなと。。。
シークが居たから入った犬業界。
全てが意味がなくなり辞めようかなと1ヶ月真剣に考えてた
でも月命日の時にはっきりとシークに背中を押されたのが分かった
ジャーキーを販売してる私を誇りに思うと言ってくれたシーク
笑顔で買ってくれるお客さんの顔を見るのを好きだと言ってたシーク
私より働き者だったシーク
【かよちゃんなら大丈夫だよ!ちゃんとして!】って月命日に空を見てたら言われた気がした
その日からガシガシ仕事してみたらとても楽だった
ジャーキー見るのも触るのも嫌だったのに美味しいーって食べてるシークではなく他犬種の沢山の顔が浮かんだ
やっぱ私が今出来るのはこれか!!!!って確信できた
だから私はもう少しだけ犬業界に居座ってやろうと思う。
疲れる日まで!
最後にシークは教えてくれたのかも
サーキットで緊張してる私をほぐしてくれたシークの舞
あの会社で辛くて辛くてよく泣いてた私にシークはずっと顔見て【大丈夫だよ、いつものことだよ】と近寄ってくれてた
僕は全部分かってるよって言ってくれてた気がする
いつも楽しそうに優しくそばにいてくれたんだなぁ〜
この子は人の裏表も全部分かってる子だった
長くなりましたがシークの命を読んで頂きありがとうございました
もっともっと動物医療が進む事を祈ります
今、病気と戦ってる子
次に病院に行った時にいい薬が認可されてるかもしれない!
私のように諦めてしまったり決断するとその方向にいってしまうから。。。
この選択をしない飼い主さんが1人でも減りますように
心から思います
シークの事を一緒に泣いてくれて、思ってくれて、言葉にしてくれてありがとうございました
シーク!必ず会えるよ
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