イタリアで目があった人々↑笑
ふざけてすみません。
ミュンヘンは夜22時半頃を回ったところですが、外はものすご~く寒い!!
といっても1°ですが。。
チェロの相方くんはエストニア人で
クリスマス休暇には国に帰っていたのですが、そこはマイナス30度に達したらしく、
昨日も私が「寒いねー!」と言ったら
「こんなの全然寒くなーい!」と返されたのでした*\(^o^)/*笑
明日はプロコフィエフのソナタ2番を
初めて通してコンサートで演奏するのですが、
弾いていて本当に極寒。←ぇ
とゆうか、寒いから書ける音楽なんだなあってすごく感じるのです。
薄暗い空や不穏な時代の雰囲気を見てるからこんな雰囲気の曲になるのかと。
当たり前ですが、お日様キラキラした国の音楽では決してなくて、いかにも寂しく厳しい冬を感じる、とゆうか。
3楽章なんて弾いていたらもう、
雪の中の葬式とか、
鐘の鳴るサムーーイくらーーい道を歩いている感じーとか、
ある意味ショパンの葬送行進曲に似通う部分があってすごく面白いなと思うのです。
比べてどうするって話ではありますが、
ショパンが見た世界と
プロコフィエフが見た世界は
そもそもあまりにも違う上に、
私が見てきた世界は更に
2年前までは日本だった訳ですよ。
でもここに住んでいて陰鬱な空が
毎日続いて、外は寒くて、家にテレビもインターネットもない時代を想像して、
目の前に悪いニュースの書かれた新聞やゴーゴリなんかの書籍しかないんだとしたら、
その人には何が見えるんだろうとか。。
でも温かい思い出とか、
温かい気持ちになれることを考えたりして寒さを凌いでいたかもしれないとか、、
てゆうかマイナス30度の世界に私は降立ったことがないけれど、
顔が痛くてまつげが凍って喋ることもできず笑顔も消える、、
なんて経験したことはないけど、
それらを知る人たちがいたり
想像したり、一日中暗い外の景色に
一緒にドヨーンと心を沈めているだけなんですが、
なんだかこの時期にこの曲を勉強していて
よかったなあと思えたりしました。
もちろん想像しきれないんだけど、
それを膨らます共通の要素がドイツの気候にもなんだかある気がするなぁ。
ドイツで哲学が発達したのも妙に納得できるようになったり、
結果には理由があるのと同じように
作品が生まれた背景って納得できるものがすごくありますよね。
それを僅かな自分の体験と照らし合わせて、そこへ寄せたり想像を膨らますのって
すごく面白いもんだと改めて思ったのでありました。
明日はトリで弾かせてもらうらしいので、
寒い中遠路はるばるお越しくださるお客様の心をフツフツ沸かせて帰って頂けるように!!演奏できるといいな!
体温かくして、温かいもの食べて
頑張りましょうね~(*^_^*)