新暦の今日は、沢庵宗彭(たくあんそうほう1573~1646)の祥月命日。
稀代の禅僧であり、徳川三代家光に説いた教えは、その後の長期政権の要石となったものと私は思っています。柳生に説いた「剣禅一如」の教えは、戦で敵を殺傷する手段であった「剣術」を剣をよりしろに天地人の探求の術へと昇華させました。
折々にひもとく『玲瓏集』
「そもそも心には意志はなく、右に左に走ったり、上に下にくっついたりすることなし。それが、一つの意志が生まれると心は行きたい所に行くのです。
意志は欲によって生まれるという。この欲をかりないことには、善にしろ悪にしろ、どんな行動もとれません。人が川に落ちているのを見て、引き上げようと思っても手を差し伸べなければできません。反対に人を深みに突き落としてやろうという心があっても手が押さなければ突き落とすこともできないのです。
何をやるのにも欲の力をかりることになりますが、中心のまっすぐな心を物指しとして、その判断によって行動すれば、欲が正しい力を発揮することになるのです。この物指しから外れない欲を欲念と呼ばず義といいます。欲の力をかりて無欲の義にあてはまることをすることこそ、道なのです」
生まれながらに誰にも備わる「中心のまっすぐな心」他の誰にも染めら れず、冒されず、奪われないもの。それを先人は【愛】と名付けたのだと私は思います。
稀代の禅僧であり、徳川三代家光に説いた教えは、その後の長期政権の要石となったものと私は思っています。柳生に説いた「剣禅一如」の教えは、戦で敵を殺傷する手段であった「剣術」を剣をよりしろに天地人の探求の術へと昇華させました。
折々にひもとく『玲瓏集』
「そもそも心には意志はなく、右に左に走ったり、上に下にくっついたりすることなし。それが、一つの意志が生まれると心は行きたい所に行くのです。
意志は欲によって生まれるという。この欲をかりないことには、善にしろ悪にしろ、どんな行動もとれません。人が川に落ちているのを見て、引き上げようと思っても手を差し伸べなければできません。反対に人を深みに突き落としてやろうという心があっても手が押さなければ突き落とすこともできないのです。
何をやるのにも欲の力をかりることになりますが、中心のまっすぐな心を物指しとして、その判断によって行動すれば、欲が正しい力を発揮することになるのです。この物指しから外れない欲を欲念と呼ばず義といいます。欲の力をかりて無欲の義にあてはまることをすることこそ、道なのです」
生まれながらに誰にも備わる「中心のまっすぐな心」他の誰にも染めら れず、冒されず、奪われないもの。それを先人は【愛】と名付けたのだと私は思います。