9月2日、この世からオサラバされた。寂しい。合掌。
 それは25年くらい前、月夜の吉祥寺。裏道にある赤提灯、あてもなし、ふらりと2軒目の暖簾をくぐった私と連二人。ひとり酒の安部譲二さんがそこにいた。まさに偶然の出会い。私もほろ酔い。ほかに客もなし、ひつぜんとご挨拶、初盃を頂き、交わし重なり、夜がふけていった。当時のわたしの仕事がらもあってか、麻布中学の同級生、橋本龍太郎先生との思い出や自身のライフストーリーの話題に花が咲いた。やがて暖簾も店内にしまわれ。「では、またいつか。」と思いきや「ウチでまだやろう!」とジョージ先生。一度は遠慮したが再びのお誘いをお断りするは無礼と千鳥足の先生を支えつつご自宅に。奥様のお出迎え。突然の深夜の見知らぬ来訪者に奥様のご心中いかばかりかと。手に汗。しかし、なんとも軽やかに温かみのある応接を頂いた。だるまの水割りを飲みながらの話題は一貫して、恩師、山本夏彦さんのこと。ろれつのまわりはあやしいが、師匠のスゴさを語る弟子の流暢、時に涙ぐみながらの言葉はまさに人生の親父にむける息子の憧憬と感謝に溢れていた。
 そんな縁から数年のあいだ、幾度か盃を交わす機会を頂いた。あたりまえだが、いつも話が面白い、次第に魔法をかけられたかのように、お酒がやさしい味となる。ひっきょう深酒。何度目かの宴の差し向かい、唐突に握り拳が胸前に飛んできた。えっ、一瞬ヒヤリ。掌が開かれると、そこにサイコロひとつ。「これやるよ」って一言。あうんの呼吸よろしく頂いた。何故にサイコロ?なんて詮索もその場ではしなかった。
 酒は水モノ。淡交、水の如し。利害も思惑もない安部の達人と青二才のささやかな宴はいつともなくに途絶えた。しかし、その残り香は時を経ても瑞々しい。
 いつだったか「一寸さきは闇がいい」山本夏彦さんのエッセイ本を目にした。
 明日のありかなど知れぬが人生、闇に向かいて賽を投げ
 あの時のサイコロの裏書きは、そんなことではなかったのかなと思ってみたりもした。本当は何の意味もなく、なぜかポッケに入ってたものを何となく差し出されたんだろう。サイコロを掌にのっけると、上機嫌で頬に酒紅さした先生のニコニコ顔と大きな背中を思い出す。ありがとうございました。拝