今日、母校の野球部が夏の選手権大会の県予選で敗れ、3年生の夏が終わった。

僕はネットで速報をみて試合状況を確認していた。そして、一年前、自分がキャプテンとして臨んだ夏を思い出していた。

僕はレギュラーではあったが、プレーで引っ張れる力はなかった。「9番ライト」これが僕の定位置だった。

だから、僕はプレーではなく、誠実さ、思いやり、姿勢でチームを引っ張ろうとした。誰よりも早くグラウンドに出て準備をし、誰よりも声を出し、常に全力疾走。言うのは簡単だが、実際に毎日やるとなるとかなりきつい。それでも僕は、引退する日まで一日も手を抜くことはなかった。

すべては「甲子園にいくため」だった。僕たちはノーシードから勝ち上がりシード校を撃破しベスト8まで残った。しかし、甲子園への道は厳しく

ベスト4をかけた試合で、延長14回タイブレークの末敗れた。僕たちの夢は届かなかった。しかし、僕は何一つとして後悔はなかった。

その理由はたくさんあると思う。その中でも一番大きな理由は、僕は自分の高校のスタンドがあの最後の試合ほど一つになっていたところを見たことがなかったからだろう。応援席はぎっしりとうまり、大声援を送ってくれた。ベンチに入れなかった野球部員をはじめ夏休みなのに自主的に集まってくれた生徒のみんな、おそらく全校生徒の半分以上が自主的に応援に来てくれただろう。そして、地域の方々も応援に駆けつけてくれた。

なぜそんなにも多くの人が集まってくれたのか。

それは、僕の高校の野球部が、みんなから愛されていたからに他ならない。朝の挨拶活動、掃除をはじめ、野球部が率先して生徒の模範となるようにしようと部のみんなで決めた。そのうち、あちこちから「野球部がんばれよ!」「応援しに行くよ!」という声が聞こえるようになった。

スタンドにいた人たち全員が心の底から応援してくれた。中には野球のルールなど知らないという人もいたと思う。それでも本気で勝ってほしいとねがっていた。

スタンドの野球部員の中には、三年生もいた。彼らは僕たちとともに一年生の時から、練習に励んできた。背番号をもらえなかったとき泣いている人もいた。当たり前のことだ。みんな背番号をもらってベンチに入りたい。それでも彼らは、最後まで、サポートをしてくれた。心の中では、悔しかったり、複雑だったりしていただろう。僕は、彼らのために戦っていた。彼らが僕たちを支えてくれる。僕たちは彼らのために戦う。立場は違えど向いている方向は同じだった。

ベンチ、スタンドが一体となって戦っているというのを肌で感じていた。僕たちが試合に負け、応援席に向かって挨拶をしに行くと、多くの父兄が涙を流していた。父兄だけでなく、地域の方々、生徒までが泣いていた。僕は多くの人々の心を動かしたんだと実感した。

僕は野球人生最後の試合で、野球というスポーツが試合に出ている9人だけのものではないを学んだ。

試合に出ている選手。

控えのメンバー。

スタンドの部員。

厳しく指導してくれた監督。

弁当を作ってくれた親。

試合を進める審判。

応援してくれた観客。

本気でぶつかってくる対戦相手。

その他にも、多くの人たちのそれぞれの思いがつまったものが高校野球なのだ。

高校野球を経験できて、僕は幸せだ。