誰かに何かを責められること
誰かに批判されること
誰かに否定されること
誰かからの評価
私たちは”これら”に対して物凄い恐怖を覚えて生きている。
だから強烈に『失敗したくない』の気持ちが湧き上がる。
それは大切な”好き”を麻痺させてしまう・・・
子供に関してとてもそう思っている。
子供がしたこと、あるいはしなかったことで誰かに何かを言われる。
学校行ってないんだって・・・と自分の知らないところで噂になっていること。
大変だね。。。って言われること。
「大変だね」 ってさ、
気軽に使ってしまうけど、なんかやっぱり同情する言葉だよね。
上から目線。
私は大丈夫でよかったけどあなた大変だね。
みたいな。
だから仲のいい子供のお母さんからラインが来て
「最近学校いってる?」
「大変だね」
とか言われると無性に腹が立っていた。
「子育て失敗したよね」
って言われてる気がする。
というか、自分が思ってるんだよね。
学校にいけない子供を育てたしまった。
みたいな。
そうするとHAPPYさんが言うように
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『答え』を他人に委ね始める。
自分で決めることをしなくなり、
ますます他人が脅威になっていく。
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1リラックス、安心、信頼して人生を過ごすのか
2緊張して怖れの中、心配して人生過ごすのか
子どものことに関してはいつも2になってしまう。
Happyちゃんは
自分の存在に対する否定・批判する意識
自分の行為に対する否定・批判する意識
の2パターンがあるといってる。
うちの場合
子どもが学校にいかない(行為)
という行為がある
私は、学校にいかないという行為を超えて
学校もいけないだらけた子ども
約束をまもれない子ども
頑張る気力がない子ども
と、どんどんダメの深堀を初めて
人間性の否定までやってしまってる。
そして、そんな子どもを育ててしまった自分も
お母さん失格
ダメ母
ダメ人間
生きている価値がない
とまでどんどん否定が止まらなくなる。
これが全て内側で行われてる。
でも、Happyちゃんは言う。
自分がどんなに自分の存在を否定しても
源であるソースは一切同意しない
ソースの視点と自分の指定が調和とれているかどうか知らせるのが
「感情」
イライラ、モヤモヤ、心配、焦り
こてれはずれているよ!
という警告なんだって。
存在そのものが祝福
存在そのものが喜び
存在そのものが完全
人生は楽しむもの
人生は喜びを感じるもの
人生とは気分のよいもの
クリアしないといけない試練も課題もない
ただリラックスして”今”を感じる
だから、
「感情」を指針にする
自分自身で在るときは気分が良くて
自分自身で無いときは気分が悪い。
あなたがどんな”今”どんな状態でも
どんな状況でも
そしてこれからの未来、あなたがどんな状態でも
どんな状況になっても
あなたのソース(源)は常にこう言ってくれてる。
『よー、やっとるよ』
自分自身にいう言葉はこれだ。
よーやっとるよ。
そして、きっと子どもにも。
でもな、今の私は一日ごろごろしている娘にこの言葉、、、
言えない><
そんなわたしだけど、、
「よーやっとるよ」