はじめまして!

 

このブログは、自分の日常を記すとか、そんなことを目的にはじめたわけではありません。最近の自分の中に出てきた考えを、多くの人に読んでもらい、賛成や反対など、様々な意見が欲しいと思い、はじめました。そして、いつかこのブログが、日本の将来に大きな影響を与えることを願っています。

 

まずは軽く自己紹介から。

埼玉県出身、19歳の都内の私立大学に通う大学一年生です。専門としては、語学系で、英語を中心に勉強をしています。

 

 

さっそく本題に入りたいと思います。

冒頭にもあるように、最近僕の中に一つの考えが生まれました。先にそれをお伝えしましょう。

 

『日本の大学生は腐っている。変えなければならない。』

 

です。

 

この時点で、賛成するか方、反対する方、様々だと思います。

 

これから、僕がこの考えに達するまでの経緯を説明しようと思うのですが、まず前提として、学費が高い私立に通っていること、僕の家庭が決して裕福ではない、ということを理解していただきたいです。

 

 

 

僕がこの考えを持ちはじめたのは、つい最近、十月ごろのことです。

僕の大学は九月いっぱいまで夏休みだったので、秋学期が始まり久しぶりに友達に会ったりと、なかなかに楽しい時期でした。

 

ちょうどその時に、大学側から、新しい奨学金制度の説明会に参加するようにメールが届きました。十月から消費税が上がりましたが、その影響なんでしょうかね。いわゆる教育改革というものでしょうか。内容としては、給付奨学金の増額、学費の減免についてでした。そう、僕は、給付奨学金の対象者なのです。この情報だけでも、いかに僕の家が裕福ではないかがわかるのではないでしょうか。今までは月に3万円、返さなくていい奨学金を国からもらっていましたが、これからはもう少し上がって、月に4万弱になるそうです。授業料減免についても、最大70万円国が払ってくれるということでした。

 

素直に、嬉しい。ありがたい。それに尽きます。母子家庭である我が家にとって、私立大学の学費は高すぎるものでした。

 

この説明会の後、僕の中に一つの疑問が生まれました。

 

『果たして自分は、この奨学金を受けるに値する人間なのか』

 

ということです。月に約4万。四年間で約200万。国がくれるのです。年間で70万もの授業料。四年間で280万。国が負担してくれるのです。果たして自分にはそれほどのサポートを受けるに値する価値があるのだろうか。

 

加えて、もう一つ。

 

『僕の春学期は、果たして60万の価値があるのだろうか』

 

この60万とは、僕の通う大学の一年間の学費から割り出した、春学期にかかっている金額です。(四年間で500万円ほどです。)自分が春学期で得たもの、経験したもの、学んだものは、60万をかけるほどの価値があったのか。ここでは、サークルとか、部活とかの活動は抜きにして考えています。(サークルや部活で活動する際にもその分のお金を払っているわけで、授業料には含まれていないからです。)正直、僕の春学期は、60万円の価値は全く持ってないです。いっても5万とかではないでしょうか。決して春学期にふざけていたわけではありません。毎日授業に出て、普通に勉強していました。それでも、60万円の価値があるとは、口が裂けても言えません。

 

 

同じ質問を同級生にしてみました。すると、ほとんどの人が、『ない。』僕と同じように5万くらい、という人もいれば、5千だったり、マイナスだよ、という人もいました。

 

そして、彼らは最後に必ず口を揃えてこう言いました。

 

『そんなもんじゃね?60万は無理だよ。』

 

確かに、60万円に見合う成長をするのはなかなか難しい。しかし、だからと言って、すぐに諦めてしまうのはどうなのかな、と思うわけです。なぜなら、学費を払ってくれているのは、自分ではなく、親なのだから。自分で払っているのなら、何の文句のありません。自由に生活してもらって構わない。しかし、学費を親が払ってくれているのならば、国が払ってくれているのならば、それ相応の努力、勉強、成長をしなければならないのではないでしょうか。実際、今の日本の大学生で、学費を全て自分で負担しているという人は非常に少ないと思います。

 

僕がこれほどまでに学費学費と言っているには原因があります。

小中高と、ずっと公立の学校で、大学受験の際も塾には通っていなかったので、高いお金を払って勉強する、という経験が初めてなのです。そのために、どうしても学費に対する成果を求めてしまいます。

 

 

 

少し視点を変えてみましょう。僕の周りには、サークル活動に明け暮れる友人がたくさんいます。実は僕自身も、春学期は部活に所属していて、週に三回ほど活動をしていました。(今はもうやっていません)そんな友人たちが、僕が、四年間そんな生活を続けたとしましょう。きっと彼らの大学生活の思い出は、サークルと、友達みんなで遊んだこと。もしかしたら、四年間のうちのほんの一部分の話である、一回だけ行った短期留学のことや、二週間のインターンの思い出もあるかもしれませんね。

 

さて、そんな彼らが就活をし、大学生活についての質問をされた時、何と答えるのでしょうか。考えられるのは、

『四年間サークル活動(または部活)に勤しみ、三年次には代表としての任務を果たすことで、責任感がつきました。』

『二年次に行った短期留学により、日本だけでなく国際的な視野を持つことができました。』

『三年次のインターンで、社会経験をすることは、非常に良い経験になりました。』

 

とかでしょうか。これらが悪いとは言いません。ただ、僕が言いたいことは。

『あなたはサークルや部活をやるために大学に行ったのですか?』

『短期留学やインターン以外で、何か得たもの、学んだものなど、企業に話せるようなものはないんですか?』

 

ということです。おそらく、彼らの四年間は、高額の学費に見合うものではないでしょうね。

 

一般化はしません。中には、勉強に明け暮れるような方もいらっしゃると思います。しかし、現在の日本の大学生には、勉強なんかそっちのけで、遊びまくり、学費を払ってくれてる親に感謝もせず、卒業単位ギリギリで、特に得たこともなく卒業するような人が多いもは事実だと思います。

 

というかそもそも大学生って勉強しているんですかね。実は僕は諸事情あって、夏休みにめちゃめちゃ勉強していました。その話をすると、みんな口を揃えて

『きも』

と言います。勉強している大学生を見て、違和感を感じてしまう。そんな世の中なんです。そんな社会になっているんです。超難関私立と言われる僕の大学でもこんな状態なので、おそらく他の大学でもそうなんでしょうね。

 

噂に聞いたのですが、この先、大学教育も無償化されるかもしれないだとか。そんなことはやめてほしい。今の大学生に、そんなことまでしてあげるほどの価値はありません。

 

このような現状から、

 

『日本の大学生は腐っている。』という判断に至りました。

 

 

それでは、どうしたら高い学費に見合う成長をすることができるのでしょうか。ただただ授業に出て勉強するだけではそれほどの成長をすることはできません。

 

授業を変えますか?

 

今度の授業で教授に、「学費に見合う授業してください」と頼んでみましょう。何も変わらないと思います。

 

つまり、もう自分が変わるしかないわけです。自分で勉強して、授業に価値を持たせる。自分で勉強して、価値もある成長、経験をする。それしかないのではないでしょうか?

 

『変えなければならない』とは、そういう意味です。

 

 

そのために必要なもの。

 

時間。目標。努力。

 

それだけでどうとでもなると思います。

 

 

まずは自分から。もうすでに秋学期も後半に入ろうとしていますが、少しでも周りの人に影響を与えられるように、自分から見ても、他人から見ても、60万の成長ができるように、努力していこうと思っています。

 

そして、おそらく卒業するまでの四年間で、このような日本の大学生を変えることは無理だと思いますが、その礎を作れたら、と考えています。

 

 

 

 

 

ざらっとここまでかいてきました。あまり文才がないので、読みずらいものだったら申し訳ありません。

 

上に述べた自分の考えは、間違っていないと思います。しかし、反対する方の意見も聞いてみたいです。

 

なので、ぜひご意見を聞かせてください。