シャネル (Chanel)は、ココ・シャネルが興したファッションブランド、および同ブランドを展開する企業である。レディース商品を中心に展開しており、服飾・化粧品・香水・宝飾品・時計と展開分野は幅広い。 ウーマンリブ的な「古い価値観にとらわれない女性像」がブランドポリシー。喪服用途であった黒い服を「リトル・ブラック・ドレス」として広汎的に広め、また自立した働く女性のためのジャージ素材、ツイード素材のスーツを打ち出すなどファッションの歴史を次々と刷新していった。 2012年現在のデザインディレクターはカール・ラガーフェルド。
1910年 、ココ・シャネル がパリ のカンボン通り21番地に「シャネル・モード」という帽子 専門店を開店したのが始まり。1913年 、リゾート地ドーヴィル に第1号のモードブティックを開店。続いて1915年 、ビアリッツ に「メゾン・ド・クチュール」をオープンして、ココはオートクチュール のデザイナー として本格的にデビューする。
1916年 に第1回シャネル・オートクチュール・コレクションを発表。安くシンプルで着心地がよく、無駄のない、ジャージ 素材を取り入れたドレス が話題となる。
1921年 、本店をカンボン通り31番地に移転。調香師のエルネスト・ボー により、シャネル初の香水 「No.5」を同年の5月5日 に発売。数字の「5」に縁起を担いで発売をこの日にしたと言われている[要出典 ]。脂肪族 アルデヒド を大胆に使用した香調で話題となる。「No.5」は試作品番号。
1939年 、第二次世界大戦 の勃発とともに、香水とアクセサリーのブティック以外の全店を閉鎖。ココがナチス・ドイツ によるフランス 占領中を通じドイツ軍将校 と愛人関係にあったため、1944年 の連合国 軍によるフランス解放とともにスイス への逃亡を余儀なくされる。
戦後、1954年 になって閉鎖店舗が復活。カンボン通りの店を再開し、オートクチュール・コレクションも復活させる。
1970年 、香水「No.19」を発表するが、翌1971年 、住居としていたオテル・リッツ で、ココが死去。その後、カール・ラガーフェルドがデザイナーに就任。ココのスタイルを守りながら、時代の空気を取り入れた新しいシャネルを提案し、ブランドとしての再興を果たす。
製品の大多数は自社工場で製造されているが、サングラス・メガネフレームはイタリアのルックスオティカ 社がライセンスを受けて生産している。
日本におけるシャネル
1994年 、シャネルブティック本店(銀座並木通り)を開店。次いで1996年 に大阪・心斎橋 店を開店。心斎橋店が日本において当時最大の店舗であったが、2001年 に東京・表参道 店が開店し、こちらが日本最大となった。2004年 12月には、銀座 3丁目に旗艦店となる銀座シャネルビルがオープンした。
店舗以外では、千葉県 船橋市 に日本をはじめとするアジア市場での流通・開発拠点となるコーポレートオペレーションズセンターが立地している。
日本法人の代表はリシャール・コラス で、フランス本国では作家としても知られている。
商品の輸入総代理店は以下の通りである。
- 自社工場製造商品 - シャネルジャパン本社
- 問い合わせ窓口はファッション、コスメ・香水、ジュエリー・時計で分かれている。
- ルックスオティカ社製造商品 - ミラリジャパン(シャネル アイウェア事業部)
企業形態 | フランスの株式会社(Société Anonyme) |
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業種 | ファッション、コスメ、ジュエリー |
設立 | 1909年 |
創業者 | ココ・シャネル |
本拠所在地 | フランス
パリ
ヌイイ=シュル=セーヌ
92521 シャルル・ド・ゴール通り 135 北緯48度52分56.8秒東経2度15分59.8秒 |
拠点数 | 310箇所 (2010年) |
事業地域 | 世界 |
代表者等 | アラン・ヴェルテメール
(共同所有者) ジェラール・ヴェルテメール (共同所有者) ⇒ ヴェルテメール兄弟 カール・ラガーフェルド (ヘッドデザイナー) |
製品 | オートクチュール , 香水 , 化粧品 , ジュエリー , アクセサリー |
売上高 | 18億900万 ユーロ (2010年) |
純利益 | 2億8030万 ユーロ (2010年) |
従業員数 | 1,270人 (2010年) |
ウェブサイト | www.chanel.com |