人は贈り物のように、きれいに包装されている物と雑に包装されている物とに分かれている。
きれいに包装されている物とはきれいな顔や面白い性格を持っている人のことだ。雑に包装されている物とは普通の顔や普通の性格をもっている人のことだ。またいやな人も含まれているだろう。
人は贈り物のように、中身がいいものと中身が悪いものとに分かれている。中身がいいものはきれいな心をもっているので、それに接すれば、私たちは感銘するだろう。話合ったり、慰め合ったり、泣き合ったり、笑い合ったりと、一緒に何時間でも過ごす。私たちはその人を愛していて、その人も私たちを愛している。
中身が悪いものは傷ついた心を持っている。傷が深いほど人を愛せなくなり、そして愛も感じられなくなってしまった。それに対して、私たちはただの怒りや、反抗や、恨みや、嫉妬や、傲慢な態度としか考えられない。私たちはこのような性質が嫌いで、避けようとしている。実は彼らは本当に悪い心を持っているわけではないのに。。
なぜ、私たちは膝を負傷している人に一緒に走ろうと誘えるのか、なぜ、私たちは水を怖がる人に一緒に泳ごうと誘えるのか。一緒に走らなかったこと、泳がなかったことによって、彼らを避けるのではなく、私たちがすべきことは、負傷している膝と水への恐怖の克服を手伝うことではないだろうか。
彼らは「自分が膝の負傷している」とか、「水への恐怖がある」と言うより。「走るのがきらい」とか「泳ぐのは面白くない」という言いかたをするだろう。それは彼らの自己防衛だ。
彼らはこう言う:
・踊りは面白くない
・私の性格は誰にも合わない
・みんなはもう卒業した
・私は醜くて、だれにも付き合ってもらえない
・私の人生はつまらない
彼らはこうは言わない:
・私は踊れない
・私にはあなたが必要だよ
・私は寂しい
・私はだれかに受けとめてもらいたい
・私はだれかに聞いてもらいたい
「きれい・雑に包装されている物」であろうと「中身がいい・悪いもの」であろうと、彼らは私たちに送られてきた贈り物だ。見た目に騙されないように。心と心が触れ合った時こそ、本当の贈り物がわかるようになるだろう。
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私の感想:
初めて読んだときは「本当にいい記事だな」と思った。心の目が覚めたほどいい記事だ。
だけど私には少し前向きすぎるんじゃないかなと思う。なぜなら人間はほとんど利己的で、面倒すぎるものはできるだけ避けたい存在だ。私もその一人だと思う。私はもし本当にいやな人に会ったら、できるだけその人に付き合いたくない。ただし軽蔑は一切しない。彼らもほしくて、いやな性格を持ってるわけじゃないから。それがちゃんとわかっていても、彼らを手伝う気がない私はやっぱり冷たい人だな。
最後に:
Don't look down on people who you don't understand!!
Be more open minded!!
And treasure your friendship!!