この文句は「だれもかれも、どいつもこいつも」の意味とされています。この文句における杓子(しゃくし)とはオタマジャクシのことです。オタマジャクシは蛙の幼体のことですから、両者を比較すると猫は高等動物であり、蛙ははるかに下等動物になります。したがって、この文句の意味を明確にするための一助として、この両動物の名称が使われているのです。
この文句を理解するためには、日本語の特徴の一つは「当て字言語」であることを承知しておく必要があります。つまり、この文句にける猫と杓子は、その音声を利用するための当て字なのです。
一音節読みで稔はネンと読み「美しい」の意味があります。美質、美風、美談,などの熟語があるように美には「よい、良好な、立派な」などの意味があります。哿はコと読み「よい、良好な」の意味があります。つまり、この文句におけるネコは稔哿であり「立派な良好な(人)」の意味になります。
他方、儍はシャと読み「愚かな、馬鹿な」などの意味があります。鬼はキと読み形容詞では「劣悪な、劣った」などの意味があり、鬼子はキシやクシと聴きなせるように読み「劣悪な人、劣った人」の意味で使われます。つまり、ジャクシは儍鬼子の濁音訛り読みであり直訳すると「愚かな劣った人」の意味になります。
したがって、「ネコもシャクシも」というのは、語源上は「立派な人も愚かな人も」の意味になり、これがこの文句のそもそもの語源です。しかしながら、人によっては少し抵抗のある表現でもあるので、「だれもかれも、どいつもこいつも」という柔らかい表現の意味とされているのです。
これは、かなり凝ってつくられた文句であり、明治時代の諸辞典にも、大正時代の「大日本国語辞典」にも、昭和初期の「大言海」にも記載がないので比較的新しいもののようです。
