「無知の知」
と言っていいのはソクラテス。
これは私が「ソウル・オブ・マネー」を読んでから一晩寝て、思考が整理されて、かつ、らきおに共有してほしいと言われ、改めて整理してみて思ったことです。
成長のみを追い求める先に何があるか。
それを考えると、
永遠に満足できない世界が広がっているのかもと思うと、それは恐ろしく、すべてに絶望してしまうかもしれない。
でも、
「成長」を手放したいとは思っていない。
それは、
そこに自分の目指す人間像があるからです。
その人間像とは、
「人を理解できる人間になること」
です。
前提として言っておきたいのは、
「成長=経験を積み重ねる」
ことだと私は考えています。
私が、何か教えてほしいと思った時に話を聞いて、この人の話は説得力があると思うのは、
「経験」を重ねている人、です。
その経験は多ければ多いほどいいとも限らないですが(なので、経験を積み重ねると言うもの、ちゃんと重なっていかなければ意味がないです)。
とにかくそこで失敗している人と成功している人、どちらを求めるかといえば、失敗している人がいいなとも思います。
それは「失敗は成功の基」というように、私はその「基」となった部分から成功への道筋が知りたい時に、教えてほしいと思うから。
失敗の方が記憶に残りやすいというのは、(心理学的にツァイガルニク効果というらしい。かっこいい。)つまり、事実に近い経験であるということで、この点からも、直感で失敗している人の話の方が聞きたいと思っているのかもしれませんね。
難しいことはわからないけど。
で、私の尊敬する人は、
多くを経験していて、
その上で選択肢を手に入れた末に、
「成長を手放す」
という選択肢を選んだ人です。
まずは、経験してみる。
そうすることで、何かを軸にした時の弱さと強さを両方感じられるのかなとも思います。
「成長=経験を積み重ねること」
と考えている私からしたら、の話ですね。
結局、
私は人が好きで、いろんな人と知り合いになりたくて。
私が生きている時代に、届く限りのところに、不幸な人がいなくなればいいのに、と思ったり。こんなことは軽々しく口にしたらいけないというか、責任感がなさすぎると思いますし。
「この人不幸かな」と感じる気持ちすら、まだまだ人の気持ちをわかっていないなとも思います。
(というか、自分と相手の間に線引きをしてしまっているなとも感じます。この段階に進むには私にはまだまだ遠いことだと思います。)
「この人、自分を不幸と思ってほしいと思っているのか」という目線で見れれば、もっと深掘りもできるのかも。
でもそれは難しいことで、人に寄り添うこと・同情すること・優越感に浸ること・うぬぼれることの境目。
心の底で人が感じている感情は、「考えてはダメ」「感じてほしい」とか。
う〜〜。
人間の感情は本当に難しい。
けど、それがたまらなく面白い。
これも成長の中毒に侵されているのかな?と思うと悲しくなったり。
でも幸せだからいいや🙊