いや~、、、ホンっっっっっっっっト心の底から嬉しいですね!!!
僕らは工業高校の機械科で3年間を共にし、卒業旅行も男14人で一緒に行った仲です(笑)
体育の時間に卓球のラケットをパクって、体育館2階の卓球場に放課後入る為、窓の鍵を一カ所空けておき、放課後、職員室の横をほふく前進でかいくぐって侵入して夜な夜な卓球したり、友達の携帯のマナーモードを解除して着メロを「ミッキーマウスマーチ」にして教室に隠し、国語の授業中に「ミッキーマウスマーチ」が教室に2分間流れ続けたり、校長室をノックして逃げたりアホな事ばっかやってました(笑)
卒業の実技発表では自転車を5つ繋げて5連チャリを作ろうと言って、自転車の前タイヤを外して前の自転車の後ろタイヤに繋げてネジで留めるだけで強度も長さも何も考えていないので完成するはずもなく、結果ただ自転車をバラし、、、卒業しました(笑)
3年間工業高校で学んだ集大成が「5連チャリ (失敗)」という(笑)
今も幸せで楽しいのですが、高校の3年間は僕の中で本当に特別なものです。
戻れるならあの頃に戻りたいな~。。。
高校卒業後、僕は東京の音楽の専門学校へ、山田は就職しました。
最初の頃は実家に帰る度に会っていましたが、もう6、7年は会っていません。
友達から山田が仕事を辞めて雪山に篭ってスノボーばかりやっているというのは聞いていました。
その時は仕事が嫌になって、まだ若いし遊びたいのかな~ぐらいにしか思っていませんでした。
そんな彼がまさか28歳にもなってプロのスノーボーダーになるなんて誰が想像したでしょう。
周りが結婚して子供が生まれていたりする中、肉体的にも精神的にもつらかったと思います。
来る日も来る日も朝から晩まで滑っていたんだと思います。
山田がブログの中でスノーボードを諦めずに続けてきた理由をこう語っています。
『僕にとってスノーボードが「挑戦する」ことだからです。
人生って挑戦じゃないでしょうか?笑
自分たちが思ってる以上に可能性ってあるんじゃないでしょうか?
こんなやつがプロになるなんて・・・笑
そんなメッセージをスノーボードを通して
ぼくから皆さんに伝えていけたらなぁ!なんて思います。』
かっこよ過ぎるんですけど(笑)
正直、28歳でプロになったのは早くはないでしょう。
肉体的な衰えや怪我のリスク、あと何年現役を続けられるのかも分からないですが、僕は山田に勇気もらいました!
僕も自分の仕事にもっと誇りを持って、自分の限界を決めずに、自分の可能性を信じて挑戦していこうと思いました!
山田、本当に本当におめでとう!!!
友達として誇らしいよ!!
次会う時に胸張って会えるよう俺も頑張るから、それまで元気で!!
























