昨日、コロナの感染者が身近で発生し約1ヵ月延期した妻の一周忌法要をお寺にて行いました。
次男は350キロ離れた場所でオンラインにて一周忌法要に参加。
なんだか今でも信じられなくて、受け入れることもできず、妻がいないことになんだか慣れた自分もいて。
私にとって、かけがえのない存在であり、失った悲しみは一層深くなっています。
どんなに会いたくても会えない。
これから先、どう生きていけば良いのか答えもみつかりません。
妻の分まで、生き抜く。それが供養になる。
そんなこと言われて、そうだよなって簡単にはいかない。今はただただ必死に生きる。
慌てずゆっくりと前進できるように頑張りたい。

法要は身内だけで、会食もやめたため、お弁当🍱を頼みました。



妻の大好きなたぬきケーキをお供えして。

今日は妻の命日。
あれからもう一年経つのだなと思うと、時は無常にも流れて行くのだと実感しています。

突然の病気から、コロナ禍での闘病、あっという間の半年。

そしていなくなってしまって…。

ほんとずるいわ。
早すぎるよ。
これからだったのにと思うとほんとに悔しくてなりません。

普段どおりを心がけ、歯を食いしばってこの一年過ごして来ました。
不安いっぱいでしたが、人のやさしさに触れるにつけ、頑張らなきゃ、頑張らなきゃと一日一日大切に過ごして来ました。
泣いてばかりいられない。そんな毎日。
涙するのは確実に減りました。良くも悪くも慣れたんだと思います。

亡くなる直前、妻が涙を浮かべ、そっとハンカチで拭いたこと、なんで泣いてたのか?真意はわかりません。きっと悔しかったのだと。

妻とともに植えた玄関先の紫陽花が今年は咲き始めました。
日々なんだか追われていますが、自分らしさを見失わないようにまた一年歩んで行きたいと、大好きはカプリコを供えて墓前で手を合わせて誓いました。見ててください。
大切な人を失った悲しみは、慣れる分にも消えることはないのだと思います。
しっかりと生き抜くことが供養になる。そんな言葉もたくさんいただきました。
声をかけても二度と返事は返ってくることはありませんが、たまには夢にでも出てくれたらなあなんて。
今を生き、様々なことを感じられ、生きているという実感を得られていることに感謝します。

あー、今日は妻より先に亡くなられた幼なじみの誕生日なんだなー。
天国で再会してるよね。



月命日の今日は、朝から田植え。
自然に囲まれて1日。
藤の花がきれいでした。




お墓に行き、しばし妻に語りかけ帰宅しました。