先日、念願のクラシックコンサートへ行ってまいりました。
もう1カ月以上経つのに、まだあの時の音や映像や受けた感動が忘れられません。
もう二度と同じ演奏が聴けないと思うと、あの時あの場所にいられたことがどれだけすばらしかったことなのか…、時間が経てば経つほど、そんな思いでいっぱいです。
普段は録音された物を聴いているわけだけど、オーケストラの演奏をその場で聴くって、今までCDや動画で聴いていたあれは一体なんだったの?、と思わずにはいられませんでした。
ライブの演奏を聴いてしまうと、録音したものって偽物のように思えるんです。
録音では絶対気付くことのできないたくさんの音が奏でられていて、言葉が出ませんでした。
だから、演奏会から帰ってきてしばらくの間は、一週間ちょっとくらいだったかな、なんの録音されたものも聴きたくなかったです。
聴いてしまったら、コンサートで聴いたあの演奏が消えてしまうようで。
しばらくは心のなかで大切にしていたいというのか。
録音では気付くことのできない音…、ピッコロやフルートの繊細で軽やかな響きとか、チェロやコントラバスのなくてはならなさとか、ティンパニの迫力とか。。。
生演奏でしか味わえない、何種類もの楽器が紡ぎだす音の世界。
あの会場の空間が熱を帯びていくと言ったらいいのかな、音の情景と言うのか。
月並みな言い方しかできなくて、この感動や感激を言葉にできないのが悔しい。。。
演奏された曲のひとつにベートーベンの交響曲「運命」があったのですが、有名な旋律のある一楽章ばかり知られていることがもったいない、と思いました。
あの交響曲の良さは二楽章三楽章第四楽章を聴かずには味わえないのではないかな。
そういう意味では同じく演奏されたベートーベン第7番も、二、三楽章があってこそのあの四楽章かと思われます。
運命の二楽章はとにかく、あたたかい。
人のこころをこんなにも掴むものがあるのかと思うくらい。
順番が前後しますが、一曲目はブラームスの大学祝典序曲でした。
聴いたことのない曲だったので、コンサート当日まで聴き込んでいたのですが(コンサートを余すところなく楽しむには予習は欠かせないですよね)、実際にオーケストラが演奏し始めたら、なんだかもう感極まってひとり号泣。「クラシックの世界へようこそ」と言われているようで。
あたたかいんだもん。音が。
アンコールでは何曲は演奏されたなかでピツィカートポルカが心に残っています。
弦を指ではじくだけなのに、と言ったら怒られそうですが、ものすごくよかった……。
ある意味演奏された曲目のなかで一番よかった。
指揮者とコンサートマスターのアイコンタクトでのやりとりには目をみはるものがあり、指揮者の描いたものをものの見事に音にして聴かせてくれた…本当にたのしいたのしい音楽会でした。
だいすきな弦がもっともっと好きになりました。
演奏家として食べていくっていろんな意味で想像もつかないことだけど、美しいクラシックの世界に魅了されてそれを生業としている演奏家の方々がうらやましくも思えました。
それに、さまざまなジャンルのある音楽の中でもクラシックに魅力を感じて、共に生きている、その感覚がすてきだなとも思いました。一般人の私には夢で終わってしまうものだけど、ひとときでも別世界へ連れて行ってもらえた感じがしました。
心のなかを駆け巡るいろいろな思いはあるのだけど、今日はこのへんで。
またいつか、あの世界にめぐり合えるまで、がんばらなきゃ。