気付きが自分を築き上げていく
気付くことがなければ行なえない
気付くことは建築の材料のようなもので
気付きという材料で自分を築いている

全てを知ることも気付くこともできないけど
見聞きする様々なことを通して私に気付かせてくれるものがある

ある時は自然を見て
ある時は人の話を聞いて
ある時はテレビを見て
ある時はラジオを聞いて
ある時は音楽を聞いて
ある時は体を動かして
気付く

気付きの機会は溢れているけど
気付かなければ気付きにならない
吹く風も感じようとしなければ風は吹いていも感じない
気付くにも何かを感じようと意識しなければ気付きがないこともある

同じ材料を使っても建築士によって建物が異なるように
同じことを見聞き、体験しても気付きがそれぞれ異なる

気付いてよかったこともあれば
気付かなければよかったと思うこともある
後から気付くこともある
気付かなくて後悔を築き上げることがある

様々な気付きが私を築き上げていく
 

私の中の私

私の中には色んな私がいる

家族で楽しく過ごした記憶がなく、寂しかった私
父との思い出が少ないからか父に何度か怒鳴られたのが印象に残ってしまい、人から怒鳴られると急に呼吸が苦しくなる私

人付き合いが苦手で、ちょっとしたいじめにあったことのある私
小さい頃から希死念慮を持っている私

人と深く付き合うのが怖い私
でも人と深く関わりたいと思っている私

人と一緒にいるのが嫌で一人が好きな私
人と一緒に何かをしたいと思っている私

自分には価値がないと思っている私
色んなことに挑戦して自分の可能性を広げたいと思っている私

人のために尽くすことでしか生きる価値を見いだせなかった私
自分を大事にしたいと思っている私

人生を諦めてもいいかなと思っている私
最後まで諦めたくないと思っている私

母を亡くして、もっと親孝行したかったと思う私
母の治療費のためにダブルワークや借金もしなくなって安心してしまった私
母がいなくなって、母の偉大さに改めて気づく私

姉を自死で亡くして、現実を受け止められない私
行き場のない後悔、怒りを持っている私
姉の思いに気付けなくて悔しく、悲しい私
姉と一緒に死にたかったと時々思ってしまう私
姉を亡くして姉が大切な人だったんだなと気づいた私

貯蓄もなく、何かあっても身を寄せられる親戚もなく、

これからの将来が不安になる私

矛盾した思いが交差しているけど全て私
私の中の色んな私
私は私を抱きしめて生きていく

「思い」には「重い」がある

嬉しいという重さ
楽しいという重さ
悲しいという重さ
苦しいという重さ
辛いという重さ

思いにはそれぞれの重さがある
また、それぞれ重みの種類も違う

同じ事を体験してもそれぞれ感じる思いもその重さも違う
だから他人と自分を天秤に乗せて計ることはできない
「あなたより悲しい人はいるのよ」
「私の方が辛いんだ」
「どうしてそんなことでくよくよするの」
「どうして自分だけなんだろう」
天秤にかけてしまうと
比較という沼から抜け出せなくなる

人は見かけによらないと言うけど、
嬉しそうに見えても、本当は悲しみという重さを隠していたり、
辛そうに見えても、希望を持ってその重さを背負っていく人もいる
それぞれが色んな思いの重さを背負って生きている


思い出にも重さがある
大したことがないように見えてもそれが後になってみるとかけがえのない思い出になったり、
大きなイベントだとしてもそこに互いの思いがかよってなければ忘れ去りたい思い出にもなる
そこにどれだけの思いがこもっているかで思い出の重さが決まる


思いってちゃんと伝えること、受け取ることができるのかな
文字で伝わる思いじゃなくて、そこに込められている本当の重さを伝えることってできるのかな
あなたの思いの重さをわかってるつもりでいたけど、
全然分かってなかったのかな
もっと分かってあげられたらその重さを一緒に背負っていくことができたのかな


あなたの思いの重さを考えると悲しみの重さが増していく
そして、夜が更けていく
 

目を覚ますと鳥の鳴き声が聞こえてくる
風を肌に感じる
日差しのあたたかさを感じる

当たり前に「ある」ということがあふれている、ありふれた日常

でも、「ない」ものがある
あなたのぬくもりがない
あなたの声がない
あなたの姿がない

どうして人はなくしてからその大切さを身にしみて感じるのだろう

そんなことを思っても誰も答えてはくれない

あなたがいないなら僕は生きている意味があるのだろうか

それでも僕は生きている
なぜなら、あなたの鼓動を心に感じるから
あなたの声がなく、姿はなくても
僕の胸にあなたの鼓動を感じるから僕は生きていける
この鼓動を感じる限り、僕は生きていこうと思う

僕が生きていることがあなたが生きていた証になるように

頭の中でぐるぐる回っている言葉たち
「もし」
「でも」
「あの時、こうしてたら」
「あの時、こうしてれば」

君たちは、いつも考える度に出てくる
ぐるぐる回るから自分がどこを歩いているか分からなくなる

いくらしても解けない自問自答
時間は過ぎていけばその時間は溶けていくけど
時間は過ぎても頭の中をぐるぐる回るこの問は解けない

あー、螺旋階段にいるようだ
ずっと回っているから昇っているのか降りているのかも分からない

ねぇ、あなたは旅立った時、どうだったのかな
頭の中を解けない問が回り回ってどこにいるのか分からなくなってしまったのかな
それとも、心を決めていたのかな

この階段の先には何があるのかな
今日も自問自答しながら僕は歩いている
 

心模様、空模様のようだ

 

空を見上げると同じ空はない

 

晴れといっても

きれいな青空もあれば

霞がかった青空もある

雲のある晴れもある

 

曇りといっても

厚い雲に覆われている曇もあれば

薄い雲もある

 

午前は晴れてても

午後には雨になる日もある

突然の雨に降られる日もある

 

天気予報も外れることもある

 

心、気持ちも常に同じではない

元気といっても

すっきりとしていて元気なときもあれば

空元気なときもある

 

辛いといっても

落ち込んでいる辛さもあるし

努力、挑戦する中の辛さもある

 

心の予報も外れることがある

自分の心なのによく外れる

 

常に形が変わっていく雲のように心も形を変えていく

同じ嬉しい、悲しいという心なのに

その形はいつも違う

集中豪雨のようにいきなり悲しみ、辛さという雨が降ってくることがある

 

雲の中に晴れ間が見え隠れするように

嬉しいといっても

その中に悲しみもあったりして複雑だ

天気雨のように矛盾しているように見えるけど

心もそういうときがある

 

心ってよく分からないものだ

自分の心でさえよく分からないのに

ましてや他人の心を分かることができるのだろうか

 

分かったような素振りで

他人の心をああだこうだ判断しようとする自分は

天気予報士のようなのだろう

当たっていれば大きい顔をし

外れたらそういうときもあるという

 

空を見上げてみると

今日は晴れだったと気づく

明日の天気はどうなのだろう

私の心は今日はどうだったのかな

明日はどうなのかな

 

あなたと一緒にいられないなら

どんなに嬉しいことがあっても

嬉しいと言い切れない感じがする

辛いことがあっても

あなたと一緒にいられるなら

ガマンできる気がする

そういったことに今まで気づかなかったなぁ

 

あなたの最期はどんな心模様だったのかな

悲しみ、辛さでいっぱいだったのかな

そこに私は映っていたのかな

あなたが悲しみ、辛さの土砂降りの中で

私が傘になってあげられたなら

何か変わったのかな

傘を持っていった方がいいと

とりあえず天気予報が告げるみたいに

あなたが一言でも教えてくれたら

あなたの心模様を変えられたのかな

何をしても変えられなかったのかな

分からない

 

空を見上げながらそんなことを考えてみる

割り切ることのできない割り算をしているようだ

 

心模様、空模様のようだ

たまに夢を見る
母も姉も出てくる
一緒に家の中で時間を過ごしている

夢から覚めると
どうして自分一人しかいないのだろうと思って
さっきまでいた母と姉はどこにいるのだろうと考え出す

数分して気づく
自分は一人暮らしをしている
母と姉はもういなくて
自分は夢を見ていたのだと

最初の頃は本当に夢で見ている光景が
現実だと思っていたから
目が覚めた時に何が起こっているのか本当に分からなくて
胸がドキドキして、焦燥感があった
そして、母と姉が生きているのは夢を見ていたのだと
気づいた時の気分の落ち込みもきつかった

何で夢って見るのだろう
いっそのこと夢を見たままずっと覚めなくてもいいのにと思ってしまう自分がいる
夢を見ることで現実をもっと直視させようとしているのかな
もう二度と会うことができない寂しさが夢にでてきているのかな
夢の中で会いに来てくれたのかな

どうして夢を見るのかわからないけど
ただ一つ分かることは
自分は生きていて
母と姉はいないということ

現実は容赦なく目の前に訪れて
ありのままを映し出して
目を背けることができない
現実はどんな上司や先生よりも厳しいなと気づく

ありのままを受け入れて生きていこう
自分のことも受け入れて
どうすることもできない様々なことも受け入れて
生きていこう

手帳に母と姉と一緒に撮った写真を入れている
母の末期がんが判明して、
もう一緒にどこかにでかけることはできないだろうから
最後の思い出作りとして行ったディズニーランドで撮った写真


姉が自死する前に最後に会ったのもディズニーランド
姉の引っ越し前に一緒に遊ぼうと誘ってくれた
姉と話してても全然違和感も予兆も感じる感覚がなかった
まさかこんなことになるなんて、、、


見る度に切ない気持ちになる
会いたいと思っても会えないし、
電話しても、メール、LINEしても誰も出ないし、返信もこない


悲しい気持ちを持つというのは、
それだけ愛しい気持ちを持っていることだと感じるようになったけど、
やっぱり寂しいよ


この寂しさや空虚感はきっと何にでも埋めることはできないんだろう


悲しさ、悔しさ、怒り、愛しさ、虚しさ、何もできなかった失望、これからを生きようと思う希望、、、
様々な気持ちが自分の中にある
この全ての気持ちをあるがまま受け止めて生きていこう


私の心の中にいる母と姉の手を取って、
母と姉が見ることができなかった人生の景色を一緒に見ていこう


母も姉も一生懸命人生を生きてきたから、
息苦しく、生きづらい世の中だけど、
一生懸命生きたと思えるように生きていくね


お母さん、病気にずっと苦しみながら、息子のことを思ってくれてありがとう
お姉ちゃん、寂しい思いをさせてごめんね、気持ちに気付けなくてごめんね、弟のことを大事に思っててくれてありがとう
自分は強くないし、一人だと寂しいから一緒に手を繋いでてね
 

はじめまして。

 

カモミールといいます。

 

プロフィールでも触れていますが、

母をガンで、姉を自死で亡くしています。

 

はてなブログをやっていますが、

同じような経験をされた方などと繋がっていきたいと思いアメブロをはじめました。

 

アバターを適当に作りながら思い出しましたが、

姉もアメブロをやっていたなと。。。

(ブログは書いてなかったけど、農園のゲームをやってたのを見せてくれた記憶があります)

 

よろしくお願いしますm(_ _)m

 

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