Rちゃん、L君一家は1月末にシドニーへご帰還。
賑やかだった我が家も二人の生活に戻り静かに暮らして行くつもりだったが。。
ちょうどRちゃん達を成田に送りにいった夜。。母に何気なく電話したら
父の様子がおかしいと。。
その一週間前には神戸旅行の時に元気な姿を見たばかりだったのでびっくり‼️
すぐに24時間体制のお医者さんに電話するよう母に言った。
次の日様子を聞いて見ると話す事も立つ事も手も使うこともできない状態だという。
意識はあるが、言葉が出ない。お医者さんのみたては認知症が急に進んだという
診断。急にそういうことになったので介護施設も満杯ですぐには入れないという。
それでもケアマネージャーさんが奮闘してくれてその2日後にはショートステイの
介護施設に2日間のみ入れてもらうことにした。
その間の2日間は母にとっては地獄のようだったようでここでは詳しく書けないが
母のほうが介護で疲れ果ててしまい、2日後には埼玉に住む姉が駆けつけてくれ
た。
姉のラインでの逐一の報告を見ても二人の介護の様子が大変なのが伝わってくる。
姉が3日間奮闘してくれてその後は母ひとりでは対処できないので
本当は1年で一番大事な仕事が控えていたのだが無理言って他の人に代わってもらい
大事な仕事のやり方を電話で指示しながらの実家に行く用意をして
飛行機に飛び乗った。
たまたま乗った飛行機の席が窓際がアサインされた。
LCCだから本当は席の指定ができない最低の運賃のを選んだから窓際に座れるのは
めずらしい。
そこから見えた富士山の綺麗なこと!!
年明けて1ヶ月は立っているけど初富士
思わず手をあわせてしまった


姉は私が関空についた時には 新幹線で帰るので本当にバトンタッチという
連携プレイ。
実家に着くと父はケアマネさんの努力でその日次の日のショートステイ先が
急に決まったらしく私が着いた時にはすでに父の姿はなく、その代わり普段は
決して私達の前ではひ弱な姿は見せない母がこたつで横たわってぐったりしてた。
聞くと父が帰るのは2日後の夕方。これでは先に母のケアをせねばと思った。
母は2日間ほど疲れで食べ物が喉を通らないと・・
その日の夕飯は何か食べやすいものを作ってあげねばと思い、
冷蔵庫のありわせのものと実家にあったカブの塩もみとで軽い食事を作った。
2日ぶりに物が食べれたとご飯茶碗半分ほど食べてくれ、
次の日もずっと寝ている状態だったが昼も食べれるようになり
徐々に立ち上がれるまで回復してきた。
2日後には父がステイ先から戻ってきた。
「ヤッホ〜
大パパ(父へのみんなの愛称)来たよ〜〜♪」

というと姉から聞いてた情報では 家に帰ってもここがどこだか
誰なんだかわからないような状態だし無表情だと聞いてたが
私の顔を見るとニコ〜〜と笑ってくれて他のケアマネさんやヘルパーさんが
部屋にいる中。私に向かって言葉は弱々しく単語も聞き取りにくいが
欲しいものをぼそぼそと言うのでその時はコーラが飲みたいと。
すぐに入れてあげて飲ませるとうれしいそうににっこり

今までは威厳のある父で家族はみんな怖がっていた存在だったのに
その笑顔を見てなんて可愛いんだ!!と思わず思ってしまった。
立てないのに立とうとするので車椅子ごとひっくり返るので母にそばにいて
もらって夕飯の支度は私が。
父の大好物の牛肉は昼のうちに歩いて買って用意しておいたので焼いてみる。
お肉がだめならカレイもと食べれそうなものを作って見る。
私と母ようにはテーブルに並べ
父には食べさせやすいように盛り付ける
好きな胡麻豆腐も
ところが・好物ばかり作ったのに2.3口でもう食べたくない!!と首を振る。。
残念・・
その日は夜中もオムツ替えや着替えが大変で。。
父は背が高くて夜中ほぼ半分べている状態でのおもつ替えが大変で
ステイ先でも何度も夜中が寝れなくて騒いでたらしい・・
次の日はこれでは大変と、主治医に電話し、導眠剤を処方してもらうことに。
薬を取りに行ったり母のために2階だった物干しの場所を1階に移すべく
1階に物干しを買いに行き。場所を設置したりバタバタと。実家には車がないから
電車と徒歩でホームセンターまで行く。
11日が実は私の誕生日だったが10日が父がステイしに行ってたので
母が一日繰り上げて誕生日のお祝いをしてくれた

煮物は私が作りお寿司をとってくれて二人でしばしゆっくり食べれる幸せ♪
次の日は父が帰って来て。びっくりしたのは最初家に帰っても何も話せず、
放心状態だったという父が色んな事を要求してきて色々私に話かける!!
ただ立てないのがまどろっこしいらしく何度もトイレに連れて行ってくれたら
自分でちゃんとできると言い張るので それをやってしまっては母が一人に
なった時に絶対困ると思い。何度も大パパ、歩けないから無理なんだよ
オムツにやってくれたら 私がすぐに取り替えてあげるからと何度も説得した。。
かわいそうに やはり頭がはっきりしてくると色々やりたいことができなくて
やらせてもらいたいという 欲求がでてくるんだろうと思うとせつなかった



オムツ替えのときもじっとしてちゃんと横むいたりするのに抵抗することもなく
やらせてくれたので思わず お利口さんだったね と声をかけた。
昔の威厳のある父はもうそこにはいない・・
11日の私の誕生日には妹がケーキを焼いて来てくれた

妹家族がみんな揃ってお祝いに来てくれたけど。ちょうど父も施設から帰ったばかりで
入れ歯の洗浄したりお世話が大変な時間だったので先にみんなに食べてもらって
父にもケーキを食べさせた。
この切ったケーキを全て平らげ。入れてあげたコーヒーを
美味しい。美味しい。美味しいーと何度も言う仕草も可愛く感じる。
大パパ、美味しいコーヒー飲めてよかったね〜と声をかけると嬉しそうににこっと
する。
約1週間実家に滞在したが私が帰る日の朝の ショートステイに移動する父の姿。
出るぎりぎりまでヤクルトが飲みたかったな〜〜と残念そうに言っている
顔が今でも思い浮かんでくる。
それなら用意しておいてあげればよかった。。と
前の日の夜。少し話すことも聞き取れるほどの声で言えるようになった父が
向こうに行っても好きな物は食べれないし 飲みたいものも飲めないから
嫌だ。。と訴えていた。
朝出る時は行きたくないと ごねるのかと覚悟してたけどおとなしく
乗せられるままじっと黙って乗っている姿に涙が出そうになった。
また来月の初めには行く事にしたのでそれまで頑張って欲しい。
今回とても感動したのはヘルパーさんの献身的な姿。着替えをするのも
オムツを替えるのも人格をそこなわないよう声をかけつつやってくれる。
横にへばりついてそのやり方を学ぼうとずっとそばで見て真似をしてみたが
なかなか難しい。
次回行った時はもう少し上手にできると思う。
なんと6日間いただけで私は 体重が1・5kgも減ってしまい。
こんな短期間で減ってしまうほど重労働なのにヘールパーさんはこれを毎日
やっているんだ。と思うと頭がさがる。
来月まで父が自宅に帰ってくるのは3日間。その時は今度は姉が行ってくれる。
姉妹で連携をとりながら母の支えになれればと思っている。