施設に転居するのではなくて、京都で生活をすることを前提に、京都の病院に転院する。この提案ができたのは、ひとつは、真一さんのように人工呼吸器をつけて医療的ケアが必要な人の地域移行の支援の経験があったからだ。実際に医療的ケアが必要な人が地域移行するには、介助者も医療的ケアやコミュニケーションに慣れなければならない。もちろん病院でも看護師さんが指導してくれたり、練習はできるものの、実際の在宅とは物品もやり方も違う。だから、施設は反対といっても、そういうことに本人も介助者も慣れる環境、中間施設のようなものが必要だということはこれまでも言われてきたことではあった。だから、もし立岩ハウスが完成しているなら、ずっとでなくてもそこで「いったん」過ごすというのはよいと思った。だけれどもその立岩ハウスは建設中である。介助者は福井には通えない。もちろん大阪の施設にも通えない。そうであるなら、京都の病院に転院するのがよいと考えた。
もうひとつは、すでに私たちがネットワークを持っていることがあった。京都で一緒に活動してきた仲間がいること、さらに医師がいること。これが大きい。誰に主治医になってもらうのか、というのは、本人にとっても支援者にとってもその生活や支援の方向性に影響を及ぼすくらい大きなことである。
私たちがこうした提案ができたのも、活動に理解があり、コミュニケーションができる医師がいたことはとても大きかった。