またまた前回からの続き

母が勧めるままに看護師を目指していた私

それまで親族の死も経験したことがなく
21歳という若さで、当然のようにすぐ近くにあって
なくなることなんて1ミリも想定していなかった命が突然消えて
初めて魂がこの世から離れた時の身体の冷たさを知って

数秒後の未来さえ誰にも分からないことを体感していたせいか

2020年頃から、宇宙やスピリチュアルを学び始めた時
”今を生きることの大切さ”
というのは凄くしっくりきていた


あとは
彼から大きな愛情を与えてもらっていたことで
感じることが出来ていた自己信頼や
自分への安心感のようなものがなくなって
大きな心の拠り所がなくなって

大切にしてもらえているという実感を持てる環境がなくなって

それを周りに求めれば求めるほど苦しくなり
勝手に期待して失望してみたり
生きている価値がないのではないかと思ってみたり

そんなこんなを1人延々と繰り返しながら

目の前にある現実が自分の内面を写し出していることを知って
自己肯定感が低いことに気付いて
自分で自分を満たすことが出来ていないことに
気付いて

自立したい
自己完結したい

という本気モードのスイッチが入り
現在に至る

想いが強すぎてすっかり女性ならではの可愛げのようなものがなくなり、逞しくなってしまったけれど
とりあえず、今の段階ではまぁよしとする

なので、自分を大切に出来ない時の苦しさも
良く解るし、その思考回路も凄く良く理解できる

そこからどんな風に心や思考を扱っていくことで
自分という唯一の存在を認めることが出来るようになるか

自分を大切にするとはどういうことか
自分を知るとはどういうことか
本質に戻るとはどういうことか


それらを追求した結果
楽に生きるってラクそのままだけど
を大きく体感できている今


訪問看護でも、若くして亡くなった方の看取りを通して、短命=可哀想とかではないことも強く感じて

それは現世的な価値観によるものであって
むしろ天命を全うした魂に対して、可哀想だと思うことが逆に失礼な気もしたりして

もちろん残された人にとっては亡くなったことは悲しいことだけれど 
今は、それが彼らの魂にとっては最善であって
今世でやりたいと思っていたことを
やり遂げて卒業していったのだなと理解できるようにもなったり

看護師として仕事をしていて、誰かを助けたいと必要以上に思うことは、驕りでしかないことを知り

自分の可能性を信頼できて、相手の可能性も信頼することができるようになり、、

と、そんなこんな多くの学びを通して

自分を知り、本質に戻っていく過程を経て、日々充実感を持って今を生きることを選択していくようになる

それが今世を生きる上での醍醐味な気がするので

セッションや施術、日々の交友関係の中でも、そうなりたいと思っている、ご縁が繋がった人たちに対して私に出来ることがあるのならば、これからもしていきたいなと♪

ぼーっと生きていた私を存分に甘やかしてくれて
自分への絶対的な安心感を持って生きることの心地よさを体感させてくれて

過去に浸ることなく自分を振り返って前に進むために、あえて夢にも出て来ずに
そろそろ出てきてくれても良いと思うけど

ここまで来るための大きな大きな道を創ってくれて

ずっと遠回りしながらも一歩ずつ進んできた私を、きっと遠くから温かく見守ってくれていた彼にも感謝しかない

凄く優しい人だったので、わがまま放題だった記憶があって
あれからずっと、精神的な負担をかけてしまった
という罪悪感のような重さがあったけれど
そこからも少しずつ解放されて
自分のエネルギーを抑圧することなく
より自然に軽やかになっていける気がする今日この頃

あ、あとこれまでと今(近親者は特段忘れがち)の全ての周りの環境にも感謝


よし
今日も楽しんで生きるとしよう